Sankou2006-66

山 名

北アルプス南部 餓鬼岳から表銀座主稜の縦走

山行日

2006年8月27日(日)― 9月1日(金) 5泊6日

野火止山の会nyk A氏                  参加 計 4 
【都連盟主催 第166回プラスワンハイク 姉妹編 : 表銀座主稜縦走】

参加者

Aさん:67歳男性

Bさん:64歳女性

Cさん:68歳男性

高橋(み):61歳

費 用

旅館:6000円、小屋4泊:39000円(昼食)、交通費他:20000円。合計65000円

コース

タイム

  8/27日) 新宿 7:30発 ⇒(あずさ3号)⇒ 信濃大町駅11:01 → 大町山        岳博物館 → 塩の道博物館 ⇒(タクシー)⇒ 16:30旅館(泊)。

  8/28月)(歩行7H/行動10H)   旅館 6:55 (タクシー) 7:15    白沢登山口 7:30→紅葉の滝→魚止めの滝10:00 → 大凪山 2079m    13:30 百曲がり16:40餓鬼岳小屋17:50餓鬼岳 2647m餓鬼岳  小屋(泊)

8/29火)(歩行7H/行動11H)   餓鬼岳小屋 6:00 2508mピーク 8:5010:00東沢岳 2497m 10:15→ 10:55 東沢乗越(昼食) 11:3013:40 燕岳14:10 → 15:00燕岳 2763m→ 16:45 山荘(泊)。

8/30(水)(歩行6H/行動9H)   燕山荘 6:00 → 7:30喜作レリーフ→ 大天井分岐(切通岩)8:30→ 9:10大天井岳 2922m 大天荘(食事)9:35  9:55大天井分岐へ戻る 10:50大天井ヒュッテ(昼食)11:30 13:00赤岩岳手前(食事)15:10ヒュッテ西岳西岳 2758m ヒュッテ西岳(泊)。

8/31木)(歩行9H/行動12H)   ヒュッテ西岳 6:00 7:20水俣乗越9:15 ヒュッテ大槍9:3011:00槍ヶ岳山荘11:30 槍ヶ岳 3180m 11:45 槍ヶ岳山荘12:50 16:00槍沢ロッジ16:3017:55尾山荘(泊)。

9/1金)(歩行3H)   横尾山荘 7:00→上高地バスターミナル 10:40⇒11:45新島々12:08⇒12:37松本13:57⇒(スーパーあずさ22号)⇒ 16:36新宿着

山行記 

昔々(25歳の若い頃)燕岳から餓鬼岳へお盆休暇を利用して二人で登った。燕山荘は滅茶苦茶混んでいて廊下に寝かされた。表銀座主稜へ向かう登山者の中で、我々は北燕から餓鬼岳へと静かな山歩きを楽しんだ。大変といえば大変だったが、晴天でしっかりと登山道があったから迷う心配は無かったし、若かったせいか険しいとか怖いとかの印象は残っていない。1か所垂直の低い壁を攀じ登った記憶があるが、それ以外の鎖も梯子も覚えていない。東沢乗越で休んだ記憶があり、餓鬼岳小屋の宿泊はお盆なのに7、8人の年輩登山者だけ。白沢口に下山し、炎天下を信濃常盤駅まで田舎道を歩いた。今回この逆コースを辿り北アルプス表銀座を歩き槍ガ岳までつめるという企画に惹かれ、参加させていただいた。常勤労働者にはゆったりすぎる日程なのだが、夏季休暇の延長で有休を取った(計画は4泊5日で予備日が1日)。平均年齢65歳のパーティーだが山行経験豊富な素晴らしいベテラン揃いで私自身勉強になった。雨天で1日予備日を使った4つの小屋泊りの縦走であったが、餓鬼の奇岩、花一杯の斜面、高瀬湖にかかる虹、北燕の花崗岩に咲くコマクサ、燕山頂のオブジェ、槍を友にする稜線歩き、東鎌尾根から今まで登った山々の眺望など盛りだくさんの楽しみがあった。表銀座と言うだけあって道はよく整備され、恐怖心で足がすくまなければ素敵な縦走コースである。コースはガイドブックに任せ、私の個人的だが充実した楽しさが伝わればという山行記をまとめた。


8/27(日) 晴 @日目 

信濃大町駅を出て昼食に信州蕎麦。暑い日差しが辛い。徒歩30分で大町山岳博物館(400円/人)。北アルプスの自然と登山の歴史を視覚的に学び、展望室のジオラマ模型で明日からの縦走路を辿る。「松濤明の手帳」や「切れたナイロンザイル」の展示もある。日本海糸魚川から松本まで120kmが千国街道と呼ぶ塩の道。塩の道博物館(500円/人)に寄る。昔の塩問屋を利用してあり、塩を学習し、ここで機織を実体験する。織機の精巧な構造はなかなかに興味深いもので、案内の女性が丁寧に説明してくれ、オサバグサの由来の(おさ)を知る。旅館で寛ぎ、明日からの山行に備える。夕食後雨となるが明日の天気は大丈夫らしい。Aさんが 「山岳と塩の博物館に入って、汗をかく山旅の前哨戦にプラスになった」 と有意義な見学を評価する。

8/28月)晴れたり曇ったり A日目 】 餓鬼岳

白沢登山口からリーダーを先頭に歩き出す。私が二番手。樹林の中に入る。いくつも小さな沢を渉る。魚止めの滝はかなり落差があり魚は遡上できない。オサバグサ(けし科・4枚離弁花)に出会える。地味なこの白い総状花序とオサ葉は絶対忘れないだろう。Cさんの足に痙攣が起こる。バンテリンを塗ったり漢方薬68を飲んだりするが効き目が少ない。Cさん曰く 「魔法のタイツを今回の大縦走のため、大枚を投資して購入した。早朝、寝床でいい加減に装着したのが大失敗。補強されるべき筋肉へのテーピングが逆作用の抵抗として働き痙攣にまで至った。三浦雄一郎をエベレストへ登頂させたあのタイツであり、東村山から新宿をタクシーで往復できる金額である。当然1000mやそこらは一跨ぎで登れる魔法のタイツであろうと思っていた。悲しいかな誤解であった」 と。 Cさんは途中ズボンを脱ぎタイツだけで歩く。メーカーには悪いが遂にタイツを脱ぎズボンに替えて無事小屋に到着することになる。8月13日にペルーアンデス、ブランカ山群のコパ峰6188mに登頂したばかりのAさんが 「日本の山は美しい。麓から緑の樹林が続き山頂まで花がありハイマツがあり・・・」 としきりに強調する。身長160cm近いスリムなBさんは花にも鳥にも星にも詳しいネイチャリストで多くの花を教えてくれる。この山行で彼女の知らない花はないくらい。名前を度忘れするなんて無いのがとってもすごい。笑顔がとても美しく彼女の微笑する瞳も素適。体力は私と同じ位でも、経験と足は私より上級で、日本百名山70余を登頂しているベテランである。

大凪山の手前のコースが直登ではなく左(南側)迂回路に変更されている。この分岐の右に入り廃道を見ると登山道が切れ落ち、白い砂礫の崩壊した急斜面が広がる。昔この斜面を通過したであろう私の昭和44年4月発行の地形図(5万分の1)は当然ながら、最新地形図(1/25000)が直登のままになっているのはまずかろう(国土地理院に連絡済)。大凪山 2079mから先がまたまた厳しい百曲りである。ここからトップをCさんが歩く。本当はいくつあるのか曲がりを数えるつもりがそんな余裕は無い。クロマメノキの実(信州ブルーベリー)を摘む。酸っぱめで疲れが取れそう。ミヤマカラマツなどが一面に咲く斜面を抜けハイマツ帯を通り、小屋に到着。夕食後、餓鬼岳を往復する。祠がある。三角点は? 西側は全面ガスってアルペングリューエンならぬ餓鬼岳グリューエンは見られない。Cさんによると 「餓鬼とはガレの転化と言われるとおり白沢は相当の悪路。餓鬼岳小屋で戴いた栞には、鬼がよくきたと歓迎してくれる絵があったが、本当は地獄の一つ手前の餓鬼界には自分で好んで行く所ではない」 という。私は無宗教だが六道輪廻の天上界が無理なら、まあ地獄・餓鬼よりましな畜生界に行くことになるか。Cさんは4年前に深田百名山を踏破し、19年前には北穂高滝谷に迷いこみビバーク3泊の遭難体験があり、幸いにも救助され餓鬼界まで行きそびれた方だ。  小屋で白馬の山岳ガイド和泉氏から、8月12日に通るはずだった『立山東一の越〜黒部のコース』は素晴らしいと聞く。

1969年の地形図に葛温泉への下山路があるが、当時崩壊により下山に使えなかった。七倉と高瀬のダムや湖も、大町ダム龍神湖も、存在しなかった事が古い地図から分かる。

8/29(火) 晴 B日目 】 燕岳

6時餓鬼岳小屋からハイマツの道に入り、右手の裏銀座縦走路の山座同定をしながら進む。剣ズリの峰の右を捲いて左へ折れる所で7時26分高瀬湖に掛かる虹を見る。厳しい岩稜地帯を越えると、また樹林帯に入る。Bさんは 「崖っ縁の桟橋とか急降下の梯子の所は苦手」 と言いつつ軽やかに乗り越す。船窪岳不動沢の崩壊が目に入る。10時東沢岳2497m。この東南の稜線の先が東餓鬼岳でさらに有明山へと高度を下げる。我々は南西に進み、11時に東沢乗越でオニギリ弁当の昼食。左に下ると中房温泉。燕岳稜線に出るまでの山腹は素晴らしいお花畑。一面紫色のトリカブトの群落が夏の終わりを告げる。山は秋だ。燕岳に至る十数分をリーダーがトップに立つ。必死でついていくが、速すぎる。もう限界と感じた時、燕岳分岐で休憩。ここで大天井ヒュッテまで足を延ばすのを断念し(リーダーの足なら届くが)計画通り燕山荘泊まりとなる。北燕山頂はパス。燕から来る登山者に出会わない。槍ガ岳が次第に大きく迫る。

360度パノラマの眺め。コマクサをよけて青空の下で寝転ぶ。15時燕岳山頂。山荘へ向かう右手斜面にホシガラスと一緒に雷鳥をたくさん見る。こどもの歩くのがかわいい。ここにねぐらがあるのだろう。燕山荘のテラスで眼前に有明山を見下ろしながら生ビールで乾杯。縦走路の前半を制し、喜びもひとしおだ。私が「もう来ないだろうな」と言うと、Aさんが 「二度と来れないコースだが、白沢から大凪山までならまた来たい」と愛着を示す。眠れないし明日早立ちでもないので夜10時半外に出たら星、星、星。 玄関の正面にWのカシオペヤ座。胸ポケットのコンパスを出す。玄関は北向きだ。我々銀河系の星がちらばる天の川は絹雲のように山荘の後ろへと流れ、寒いのを我慢して見とれる。従業員から3ヶ月居るけどこんなにきれいな星空は珍しく、深夜3時頃オリオン座が昇ると聞く。

8/30(水) 曇り 一時小雨 午後から晴れ C日目 】 大天井岳 西岳

6時燕山荘を出発。寒い。大槍小槍を見ながらなだらかな稜線歩き。喜作レリーフの先の分岐にザックを置き大天井岳までピストン。雨模様だが何とか燕も槍も見える。大天井岳を踏んで大天荘で雨宿りを兼ねカップラーメンを食べる。分岐に戻るが標高200m下がるだけで雨の降りは少なくなる。きわどいトラバースもあり大天井岳西側の捲き道は決して歩き易くない(直接頂上から尾根通しに西へ下るのがよさそう)。

予備日があることだし、雨天だし、安全に行きましょうと、リーダーが当初の槍ヶ岳山荘泊まりを、手前のヒュッテ西岳泊まりに変更する。 大天井ヒュッテでお弁当タイム。たまに小雨。大天井岳を左手後方にして我々は喜作新道を西へ進む。水平道の両側斜面が花畑。カメラの出番。常念岳へ連なる稜線がくっきり左手に見える。横通岳・常念小屋を正面に見ながら弁当の残り半分を食べる。西の方から青空となる。食事が終わる頃、燕山荘で顔見知りになった米国の客5人を連れたアルパインツアー一行が来る。眺望の素晴らしい赤岩岳を過ぎると急降下の斜面は花がいっぱい。地味なえんじ色のクロクモソウとシュロソウもある。15時過ぎヒュッテ西岳に到着。西岳を往復。この道でベニバナイチゴの赤い種がいっぱい入った大きめのフンをいくつか見る。小屋の人がそばの谷を熊が通ると言っていたけど、これは野猿の落し物だろうか。前穂から槍まで豪快な岩稜岩壁に圧倒される。2年前あそこの稜線を歩いたのかと感慨深い。目の前に明日挑戦する東鎌尾根が槍穂へ真っ直ぐ立ち上がるのを眺め、あんな急峻なのにどこをどう歩くのかしらと思う。Bさんが望遠鏡で東鎌尾根を追う。小屋で神奈川労山の60歳前後の女性2人とお喋り。

8/31(木)快晴 D日目 】 槍ヶ

4時40分、西は雲ひとつ無く、槍穂の稜線がくっきりと浮かび、槍ヶ岳山荘と北穂高小屋の灯りが稜線上に輝く。5時朝食。リーダーの旺盛な食欲を横目に、私は食欲無しだがともかく全部お腹に詰め込む。朝陽は横通岳から食堂に射し込む。食堂の窓を開け、穂高から槍を赤く染めるモルゲンロートの屏風絵に感激する。

ヒュッテ西岳を6時に出て水俣乗越へ向う。西岳大下りは標高200mの急降下でハシゴと鎖の悪場。最初の鞍部で7時、左に槍・穂高、右に野口五郎岳・水晶岳の絶景を得る。水俣乗越でも撮影タイム。Cさんはこの山行のために購入した高価な一眼レフデジカメと望遠レンズを携行している。Aさんはスライド作成用とデジカメと2台のカメラを駆使する。Bさんも軽量コンパクトデジカメである。ビューポイントはそこら中にあるから撮影に忙しい。私は自前の網膜フィルムに焼き付けんとばかりに北アルプスの山々に見入る。私もそろそろデジカメを購入すべきかなと思う。

水俣乗越から槍まで標高700mを登り返すのだ。水俣乗越の先 7時33分にも絶好のビューポイントに立つ。この尾根に立てなければ見ることのできない素晴らしい山岳展望。皆で予備日を使って山行を1日延ばして良かったと話す。

北に高瀬湖が見え、針の木岳が右端に覗く。穂高吊尾根の稜線が美しい。右手遠くの山稜を眺める nyk の3人から次々と鷲羽岳・三俣山荘・ワリモ岳などの名が懐かしそうに出る。私もいつか行ってみたい。際立つシモツケソウの赤。痩せ尾根の両側に花が多い。ヒュッテ大槍で遠くかすかに南アルプスが覗く。富士山は見えない。この尾根は急登の連続だが、トップを行くCさんがゆっくり歩いてくれ何とか付いていける。3人はこの尾根でオコジョを見つけ写真を撮っている。私は見ていないので残念。大槍を見上げるCさんが「槍の真下に来ました」 と言うので私が「やりました!」と叫ぶ。何故か大笑い。この山行はダジャレの応酬。Bさんが数えた西岳からここまでの梯子がほぼ32本である。

槍の肩に荷を置き、直ぐに槍ヶ岳山頂に向かう。西から雲が流れるが槍穂先で全方位の展望を楽しむ。山頂から見下ろす北鎌尾根はすごい。どう歩くんだ?  私は頂上でAさんの携帯電話を借りて自宅に電話する。(帰宅後聞いたら、内容が切れ切れにしか録音されておらず、「今頂上にいる」という事しか夫には伝わらなかったことが判明してがっくり。せめて「帰宅が1日延びる」という部分が録音されていれば事態が違ったのに。というのも私は「会」に提出した山行計画書に予備日を記載しなかった上に、横尾山荘で「1日延期」という下山報告を忘れ、遭対部長や事務局に迷惑をかけてしまう。申し訳ない)

槍ケ岳山荘で昼食。カレーライス(1000円)が美味しい。2杯目も食べられそうだがつつましく控える。リンゴ(400円)を4等分して食べる。Cさんは牛丼に半分も手がつかない。東京に帰ってからCさんのメール曰く 『飯を食うのは死ぬまでのヒマつぶし、と言ったのは山本夏彦である。今回、疲労困憊で食欲減退、食事が殆ど取れなかったことが2回あった。行動がハードにも拘らずエネルギー源の補給を断てば完全なガス欠である。シャリバテで歩行不能直前まで至った。山では食事はヒマつぶしでなくと直結している』 と。

 私はBさんに花の名を聞きながらの槍沢下山である。西岳を見上げながらよくもこんな所を降りたものと道をつけた先人に感心する。紫のミソガワソウも沢山。夕方4時過ぎ槍沢ロッジまで下り、シャリバテのCさんがブドウ糖やクエン酸を口にしてから、横尾山荘まで皆で頑張って下る。夏の18時は明るい。石鹸は使えないが立派な風呂があり、汗を流してから夕食をとる。皆で山行の総括をしようと思うのにAさんCさんは20時前に寝てしまう。夜9時星が数えるほどしか見えない。

9/1(金 E日目 】 上高地

横尾山荘から上高地までずっと雨だが、AさんCさんが速くて「汗をかかないスピードで行きましょうよ」 と二人の足を引っ張る。梓川に上流からのたくさんの流木が無残に転がり、7月中旬の豪雨のつめ跡が残る。あの7月17日私は奥穂の帰りで、全車輌通行止めの舗装道路を釜トンネルの出口まで夜7時過ぎまで歩く羽目になったのを思い出す。リーダーの携帯電話に入った「さんかくてん」斉藤副会長の「携帯080-54----(以下不明瞭)に連絡せよ」という留守録を松本電鉄列車内で聞かされ「アッ忘れた」。斉藤さんの携帯番号を山田事務局長に訊き、車内で恐縮しながら(本当に!)慌てて下山報告をする。リーダーも事情を説明してくださる。 松本駅で、涸沢小屋で9年働いていたという主人の作る名古屋風きし麺鍋と釜揚饂飩の料理店「いちはし」に入ってから帰京する。

皆の感想は 「天気もコースも、景色もパーティーも、すべて最高の山行」と、大満足。

Aさん曰く 『燕岳から見て北の餓鬼岳を歩きたい。どうせなら餓鬼を登りつめて東鎌尾根を縦走したいという夢がかなった。3人のメンバーと一緒に天候に恵まれ難コースを無事に踏破出来ました。東鎌尾根は冥土までの土産話に一度は行って見たいと思っていた。満足な夏山を体験』 と。 「冥土土産」の山行ではないと強調する。Bさんの感想は 『合戦尾根から燕・餓鬼は8年前に登ったけれど表銀座に行ってみたかった。念願の表銀座縦走。これからは安曇野から眺めても餓鬼岳・燕岳・大天井岳の山並みがぐっと身近に感じられそうで楽しみです。東鎌尾根は想像していたとおりのハードなコースでしたが何とか完登できました。漫才コンビ?トリオ?と一緒で、今回のような楽しいメンバーでの登山はなかなかないですね。今年は夏のお花が遅くまで残っていたせいで秋のお花と一緒になって、100種類近くのお花に出会えてとてもラッキーでした。そのうち早川尾根に行きたい』である。Bさんは怖いところが弱いなんておっしゃるが、今回の山行は怖いところだらけ。

Cさん『天候とメンバーに恵まれ無事下山出来ました。古川リーダーに感謝御礼申し上げます』 と公式見解を述べる。登りながら純文学からポルノ文学まで格調高く語る博識の御仁であります。近年ヒマラヤやネパールのトレックに参加しているCさんです

の感想は 『思いがけず餓鬼から北アルプス表銀座を歩けるチャンスを戴け、天候とパーティーに恵まれ、山に感動、メンバーに感謝』 に尽きる。 ありがとう!     (了)

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