西上州の山     鹿岳と四ッ又山
期日:2008.3.2
参加者:L蓬生 SL細谷 松平 福井 佐藤

コースタイム   交通機関 乗用車利用
6:30東京出発===(関越道、上信道利用)==下仁田IC==9:10南牧村南牧ハーブガーデンに駐車9:48──9:28鹿岳登山口──9:40岩小屋──10:32コル(一ノ岳と二ノ岳の鞍部)──10:40一ノ岳山頂11:02──11:16コル──11:30二ノ岳11:37──コル──(一ノ岳を捲く)──12:35マメガタ峠──13:19四ッ又山北峰──13:43四ッ又山南峰13:53──14:10天狗峠──14:33大久保部落──14:43駐車場帰着==下仁田市街経由==15:42荒船の湯17:20==(上信道、関越道利用)==20:50東京帰着

3月8〜9日予定されている南会津の家向山雪山山行の足慣らしとしてどこかへ手近な山へ行こうとの話から山行機会の少なかった西上州の山へとのことで急遽決まりました。

国土地理院の地図も昭文社の登山ルートも間違っていました
鹿岳と四ッ又山へ一周コースを調べていると国土地理院の鹿岳の二ノ岳の標高が1015mあるとのことですが地図上では標高980m程度しかなくなんと35mも標高が違います。又昭文社の鹿岳への登山ルートは南牧ハーブガーデンから直接北東の沢沿いの道を詰めるルートが記載されています。国土地理院の誤った標高に惑わされたのかもしれません。信頼している昭文社の地図でも間違いはときどきあるのです。
寂しい南牧村の部落のはずれから鹿岳の登山口はあります。小さい沢沿いの杉の植林帯を詰めて行きます。
15分ほど歩くと斜面に立派な岩小屋があります。中は乾いて快適なねぐらになりそうです。
コルから一ノ岳への登りは急になります。ピーナッツをたてたような岩山を登って行きます。 上部は残雪が残り帰路は滑りそうで苦戦します。
一ノ岳山頂から360度の展望を楽しみます。
眼下に南牧村の部落が箱庭のようにみえます。上からは美しい集落も去年の夏の台風の集中豪雨で道は各所でズタズタに寸断され長い間孤立した状態になったとの事で今もその時の傷跡があちこちに残っています。
一ノ岳からコルへの下りは雪が凍結し滑りそうで緊張します。
次に向かう二ノ岳が圧迫してきます。地図では標高980mですが実際は1015mあるそうです。
二ノ岳山頂まで木の階段と鎖場が続きます。 山頂で記念撮影です。
二ノ岳山頂からの素晴らしい景色に堪能します。浅間山は立派です。
妙義山も鬼のような山容を見せます。まだ登ったことがありません又の楽しみです。
ピーナッツを立てたような一ノ岳です。あの白い帯のようなところが登山ルートです。下りるとき怖かったのが良く分かります。
二ノ岳の下りの鎖場は足元が凍りつき緊張します。
コルから一ノ岳の基部を北側に捲きますが、懸念していた雪も少なくロープが何本もしっかりついていました。
大岩壁を見せる一ノ岳の基部を捲きました。
鹿岳の一ノ岳、二ノ岳の岩稜帯を過ぎ、マメガタ峠でほっとひと息です。
これからは四ッ又山への登りが待っています。
四ッ又山へ高度を増すと左に鹿岳の一ノ岳、二ノ岳の二つの岩峰の先に浅間山が雄大に見えます。
四ッ又山の北峰です。
四ッ又山は山頂部が同じような高さの四つの峰に分かれています。
  四ッ又山北峰と南峰の間の峰ににある立像です。
四ッ又山の南峰山頂で一番標高があります。
登山口にある木作りの指導標です。 熊かしら? 
下ってきた大久保の部落は工藤姓の大きな立派な屋敷が6〜7軒集中し、先祖が工藤祐経だという碑をたててある屋敷もあり、あの鎌倉時代曽我兄弟のあだ討ちにあった工藤祐経の出身なのかしら?

帰路は下仁田市街を通り、荒船の湯で汗を流し、食事をして疲れをとりました。

荒船の湯の帰路 下仁田市街地からみる四ッ又山と鹿岳です。左の山頂が四つギザギザした山が四ッ又山です。
右の二つ並んだ山が鹿岳です。


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