越後から会津への峠道を辿って
                           八十里越

八十里越えは、越後と会津を結んで、文化・生活物資を運び、あらゆる階層の人々が行き交った歴史のある道だ。八里の道のりなのに八十里もあるかのように急峻で長大なところから、こう呼ばれたそうだ。往時の旅人の苦労をしのぶ山行のつもりが、現在はほとんど廃道状態で自分達がたっぷり苦労した。崩れ落ちた道は高巻き、崖をよじ登り、倒木を潜り、渡渉を繰り返し、泥んこ道に足をとられ、その上、何度も熊の気配に・・・!

それでも縦走後の充実感・満足度は100%だった。八十里越えは要所要所に石碑がおかれ古道の雰囲気を漂わせていた。幅広で昔の街道を思わせる所では、旅姿の人々の行き来を想像した。乗越や峠では山々(守門山・粟ケ岳・烏帽子岳・浅草岳)の眺めも良く、往時の旅人もここでひと休みして疲れを癒したことだろう。何よりも感動したのはブナの原生林だ。見上げるような巨木白ブナの独特な木肌の美しさ、細木は清々しい、雪の重みで曲がりくねった幹も味がある。ブナ森に抱かれてのテント泊も心地良かった。

迎えのタクシーで只見温泉保養センターへ。開館時間よりだいぶ早く着いたにもかかわらず私達のために大急ぎでお湯をはり入浴準備をしてくれた。地元の人々の暖かさがありがたかった。

会津塩沢の河井継之助終焉の地にある記念館に寄る。写真の面影・人物像に歴史のうねりに押し流されて滅び行く日本人を悲しいまでに感じた。そして、近い将来消えてしまうだろう八十里越えを思い切ない気持ちになった。継之助は、傷ついた体で八十里越えをした時 

『八十里 腰抜け武士の 越す峠 』 と読んだが、
私達はさしずめ「八十里 物好きどもの 越す峠」というところか!

一日に三本しか通っていない只見線。その車窓からの田園風景も会津のマッターホルン蒲生岳も印象深かった。ブナの芽吹きのころ、また訪ねてみたい。                                     (関根



期 日: 2007.10.7〜8(前夜夜行列車発)
参加者: L細谷、SL佐藤、蓬生、井上、関根

コースタイム
10月6日 JR新宿23:09発ムーンライト越後
10月7日 4:14東三条4;28===(タクシー)===5:27吉ヶ平山荘6:00──6:17馬場跡──6:36雨生池6:47──
7:00馬場跡──7:10詞場──8:17椿尾根──9:24山ノ神──9:41番屋乗越10:00──10:40火薬跡──
11:27ブナ沢──11:50高清水沢──11:59空堀小屋跡──12:04空堀(分岐)──12:47殿様清水(水の補給)12:57
──13:42鞍掛峠13:55──14:22小松横手──14:55田代平湿原──五味沢林道終点でテント設営【泊】
10月8日 出発5:45──6:20木の根茶屋跡──7:13松崎(山ノ神)──8:25ナコウ沢──8:45化物谷地──
9:15八十里越登山口(車道)──(工事中の車道を歩く)──10:15車道ゲート===(タクシー)===10:50
只見町温泉センター13:10===(タクシー)===13:30河井継之助記念館15:20──JR只見線塩沢駅16:00===
17:44小出駅18:33===18:47浦佐駅===(新幹線)===東京駅

吉ヶ平山荘は集団離村した村の小学校の廃校跡を利用したものでしたが、現在はとても営業していないようです。
朝食をとりスパッツをつけ雨具のズボンを着用して出発準備です。

最初の石碑 馬場跡です。ここから左の道へ寄り道をして雨生池を往復しました。

ブナ林の中にある静かで鏡のような雨生池がありました

詞場までは樹林帯のなかで道もはっきりしています。

樹林帯をはずれると草生した細い道で訪れる人の少ない事を感じます。

八十里越は3度の登りと3度の下りがあります。最初の登りです。

番屋乗越 2度目の登りです。乗越の名前にふさわしい場所にあります。

番屋乗越からは右奥の烏帽子岳を目指し右の山裾をくねくねとアップダウンを繰り返しながら進みますが、
小さい沢が沢山入り込み、道はほとんど崩壊して、かっての街道の面影が全くありません

火薬跡の石碑です
そばの岩には今も火薬を詰めるための穴が残っています。明治の頃この道を維持する苦労が偲ばれます。

美しいブナ林が続きます。

ブナ林が切れ、雑木帯の中に空堀小屋跡の石碑がありました。
小屋の跡があるとの話でしたが全くわかりません。
空堀からは正式に今も国道289号です

しばらくかっての街道の跡であったような広い道が続きます。ブナ林の涼しい木陰を昔の旅人も歩いたのでしょう

烏帽子岳の厳しい岩稜の脇を通って行きます。凄い岩山ですが一般的には登られないようです。
もったいないことです。

殿様清水の石碑です。各自水を2Lづつ補給します。
でも上のテント設営地点も各所に豊富に水はありました。
鞍掛峠への道は烏帽子岳の山裾をトラバースぎみに登りますが、北側斜面に滑り降りそうな難路です。

鞍掛峠は八十里越 最高所地点です。標高965mです。
鞍掛峠の山ノ神には立派な木製のシンボルが飾られていました。
安産祈願かも。

鞍掛峠も草むらの中です。

鞍掛峠からは展望が明るく開けます。浅草岳を遠望します。

小松横手の石碑です。
小松横手の名前の由来の松も大きくなりました。

守門岳のピラミッドのような山容が目を引きます。

田代平湿原の石碑です。

田代平の湿原が乾燥化が進み、潅木が湿原を狭くしています。

五味川林道の終点にテントを設営します。一般車は入れません。

木の根茶屋跡の八十里越の石碑です。

木の根茶屋跡の石碑です。かって年間2万人の人が利用した峠、冬の数ヶ月は通行出来なかったこと
を考えると小屋の重要性を感じます。

いかにも古道を感じさせる松ヶ崎の山の神です。

八十里越の2日目は雨の中でしたが、苦になりません。

木の根茶屋からの下り道も小さな沢で道が崩壊して街道の跡を残していない箇所がいくつもあります。
道は各所で崩壊し、高巻しました。

会津の只見に近づくにつれ立派なブナ林がふえてきます。

八十里越の入口の石の道標からは只見町のゲートを目指して歩きます。
この道は来年2008年12月には越後側と開通し、新 八十里越街道としてデビューする。

只見町では町営の温泉センターでは12時開場の温泉を11時前に入れてくれる配慮に感謝し、
河井継之助博物館を見学し、改めて 八十里越の重要性と感慨を胸にして只見線塩沢駅と向かいました

只見線は日に3本しか運行されません。福島と新潟を結ぶ重要な線なのに!
塩沢駅からはマニアに有名な只見のマッターホルンと言われる蒲生岳gよく見えます。

生まれて初めて乗る只見線がついにやってきました。東京に帰るのに遠いこと。小出で乗換、浦佐で新幹線
乗換やっとこ東京につきました。今の世の中この不便さは貴重です。
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