昨年のリベンジを果たしましたが?
剱岳 北方稜線
期日:2010.07.30〜08.03(前夜発 車利用)
参加者:L佐藤、SL渡辺(元)、細谷、桑村
コースタイム

7月29日 23:20発(車利用)
7月30日 曇り時々晴れ 午後より雷雨
扇沢着4:00 車中仮眠4:20〜6:30  アルペンルート扇沢駅7:30===(黒部アルペンルート)===9:25室堂到着  室堂出発9:55──(弥陀ヶ原)──10:39称名川木橋──12:53別山乗越──13:45剣沢警備派出所(登山計画書の提出)──13:58剣沢小屋14:18──15:50真砂沢キャンプ場【泊】 20:30消灯
7月31日 小雨のち曇り時々晴れ
 5:40起床 小雨と霧のため待機  真砂沢キャンプ場発8:14──8:22三ノ沢雪渓通過──8:38ハシゴ沢分岐──9:03ヘツリ箇所──9:34二股吊橋──1830m付近ベンチ(山岳ガイド多賀谷さんと会う)──12:00仙人峠12:25──12:50池ノ平小屋着【泊】場所  鉱山道を偵察する  消灯20:40
8月01日 晴れの濃霧 17:30頃より晴れる
4:30起床 5:45出発──6:10鉱山道展望台──6:50鉱山道からアイゼンを付け小窓雪渓へ下りる──7:57小窓コル──9:16第一の雪渓(アイゼン使用)──9:54第二の雪渓(アイゼン使用)──小窓ノ王基部──11:30三ノ窓──(池ノ谷ガリーを登る)──12:58池ノ谷乗越──(ルンゼの壁を登る)──13:27池ノ谷の頭──14:35長次郎ノ頭──(15:00〜15:25懸垂で下降)──15:30長次郎のコル──(長次郎左俣を下るも2750m付近のクレパスに阻まれ引き返す)──16:00再び長次郎のコル──17:00剱岳山頂──19:15前剣(剣山荘へ連絡)──21:38剣山荘到着【泊】 消灯22:22
8月02日 晴れ
5:20起床  剣山荘出発6:33──8:10真砂沢キャンプ場(テント撤収)9:10──12:38剣山荘(桑村さんと別れる)13:20 ──15:40別山乗越──17:25雷鳥沢キャンプ場【泊】雷鳥沢温泉へ入浴  消灯22:20
8月03日 晴れ
起床5:35  出発7:35──(弥陀ヶ原)──8:40室堂ターミナル着  9:15出発===(黒部アルペンルート)===10:47扇沢駅到着  11:00車出発  松川村のすずむし荘で日帰り入浴   19:30頃帰京
剱岳北方稜線は去年の8月初めにも同じコースで計画されましたが、池ノ平小屋からいよいよ当日は激しい雨になり、翌日も判りしないことから、あきらめ引き返した経緯があり、今年こそはの気持ちで臨みました。そして2年前の秋、小窓尾根から池ノ谷に下り立った時にその池ノ谷雪渓の迫力に圧倒されました。今回は三ノ窓や長次郎のコルから池ノ谷雪渓を見下ろしたら、どんなに凄いだろうなどと思いながらの山行参加でした。



今回の剱岳バリェーションルートのベースキャンプ真砂沢へは扇沢から黒部アルペンルートを利用して室堂経由して剣沢を下ることにしました。黒四ダムから直接、真砂沢へ入ることは内蔵ノ助平からハシゴ谷乗越のルートの状態が悪く、室堂廻りとしました。
7:49 豪快に水を放出する黒四ダムです
8:04 ケーブルカーと 8:40 ロープウェイを乗り継ぎ更にトロリーバスに乗り
室堂につきました。
10:29 室堂で出発準備をし、観光客の行き交う弥陀ヶ原の石畳の道をアップダウンしながら抜けると雷鳥沢キャンプ場が眼下に現れます。
11:04 雷鳥沢から別山乗越に向かいます。尾根筋に乗るまではかなりの残雪が迎えてくれました。
別山乗越まで広い尾根をジグザグに登り、剣沢小屋までもかなりの残雪が残っていました。
13:45
剣沢の登山指導センターへ登山計画書を提出し、注意事項の説明を受けます。
剣沢小屋で私の忘れたガスボンベ中を2個買い足します。平地で@個 500円のものが@個1000円です。ヒェー高いと思いましたが忘れた私が悪いのです。ないと大変でした。
最近は別タイプのもっぱら同じ容量のガスボンベを1個70円で買って使っていましたから、何倍でしょうかなどと考えながら歩きました。
14:08 途中 ちらっと剱岳が見え、天候は回復するだろうなどと呑気に言っていましたがぽつぽつの雨は本降りに変わりました。

14:31 剣沢雪渓を下ります。
14:47 画面では分かりませんが雨が降り出し、合羽をつけての山行です。途中までは上の合羽でしたが、強くなり下の合羽もつけての行動になりました。結構しっかり濡れました。カメラが防水でないので写真撮影はほとんどできませんでした。

16:14 16:00前に真砂沢のキャンプ場につき、強い雨の合間をぬってテントを設営しました
思わぬ雷雨は断続的に続き、テントの中で衣類を乾かす作業がつづきました。結構しっかり濡れていました。
水汲みやトイレに外にでると剣沢からの冷風で寒さでブルブルと身体が震えます。
7:55 漸く雨も止んできました。
朝5時半に起床したものの雨が降り、食事をしながら待機して天候の回復を待ちました。真砂沢小屋の主人に日程をアドバイスを受け出発しました。


8:17 去年は崩壊が激しかった三ノ沢の雪渓は今年はたっぷり雪があります。
8:23  ガスの中 三ノ沢を渡ります。

9:02 二股手前の剣沢の「へつり」の場所です。鎖としっかり整備されています。
9:33 北股と剣沢の合流点に掛けられた二股の吊橋です。今年は10ほど前の7月20日に掛けられたばかりで

9:36 三ノ窓雪渓の上部はガスのため見えません
10:22 三ノ窓雪渓
二股吊橋から蒸し蒸しする仙人新道を登りつめ、尾根筋の開けた場所に来るとパット三ノ窓雪渓が望めるようになります。
10:36 著名ガイド多賀谷氏と記念撮影
 仙人新道の標高1830m付近のベンチで剱岳「点の記」で撮影協力をした著名な山岳ガイドの多賀谷氏と会い早速記念撮影をします。なかなかユーモアのある明るく楽しい方でした。5名の登山者をガイドして明日はやはり北方稜線を目指すとのことで今夜は仙人ヒュッテに泊まるとのことです。

10:50 道々あったブルーベリーの実です。 11:08 結構沢山なっていました。
仙人新道からブルーベリー新道と名前を変えたらなどという位に木も実も沢山ありました。
11:47 課題の鉱山道を遠望します。
仙人新道から池ノ平山の山麓を迂回するように鉱山道が右から左へ細々続いているのが分かりますでしょうか?

11:57 仙人峠のお花畑
蒸し暑い仙人新道を終え、仙人峠はお花畑が広がる素晴らしいところで遠く八ッ峰の岩峰が見晴らせます。
11:59
12:47

12:47 仙人峠で花を見ながら中休止です。
13:45 池ノ平小屋です。後の山は仙人山で、道は仙人峠〜池ノ平小屋に至る道です。
14:12 剱岳小窓ノ王方面を望みます。通称「モンローの唇」といわれる残雪が上部に残っているが見えます。
ちなみにこの小屋の愛好者による親睦団体をモンロー会と呼び、小屋の開業のときに雪に埋まった小屋を掘り起こしたり、小屋閉めの時などはお手伝いをするそうです。
14:20 池ノ平小屋で一服した後、細谷さんと悪名高き「鉱山道」の偵察に向かいました。池ノ平山からの尾根を巻いた後,小窓雪渓が望まれるようになるとルンゼ状岩壁に道はついて、濡れて気持ちの悪い場所で勿論ロープも鎖もありません。
一般の人は入ってはいけないということです。
14:59 鉱山道の偵察です。
                 岩壁を下りる細谷さんです。

15:27  1時間ほどの偵察を終え、小屋名物の池ノ平温泉で汗を流します。すっきりしました。
仙人新道であった多賀谷さんのサインが他の俳優や監督と一緒にベニヤ板にしてありました。

16:12 夕方 八ッ峰の岩峰が花畑の先に見えました。
16:25 池ノ平小屋から50m程下ったところに平ノ池があり、以外に多くの池塘があります。残念ながら池から剣の写真は曇ってきてだめでした。
今日の池ノ平小屋に泊まったのは5名のです。
渡辺さんはツェルトで小屋の外のテン場です。左の二人は翌朝北方稜線へ向かいましたが、鉱山道の終わるところでこれ以上先は自分たちの力では難しいと判断し引き返しました。
つるぎ号とモリブデン 菊池今朝和
七月末から八月初めまで富山県宇奈月町(市町村合併で黒部市宇奈月温泉)の酒屋さんが経営する北アルプス裏剣岳の「池の平小屋」にいた。この小屋明けの手伝いをしていたのだが、涼しい標高2200メートルの地で一週間あまり過ごした。下界の猛暑が嘘にような別世界。

この小屋と関わりを持って十七年になる。大正年間の初めこの地で採掘された輝水鉛鉱(きすいえんこう・元素記号で表すとMoS2となりこのMo部分がモリブデンと呼ばれている)は、北陸線の滑川まで運ばれ、そこから東京の北区赤羽に移送している。

赤羽には耳鼻咽喉科の医師で後藤新平の信任を得ていた岸一太(きし・かずた )医学博士が、日本で初の民間飛行機製作会社となる赤羽航空機製作所を開設した歴史がある。近くには岸飛行場と呼ばれた民間飛行場もあった。

岸一太氏は岡山県出身。明治三十年に岡山医学専門学校を卒業、ドイツに遊学して帰国後、東京・築地明石町で耳鼻科院長で開業していたが、大正四年に自ら開発した発動機にモーリス・ファルマンの機体をつけた飛行機「つるぎ号」を製作している。

続いて「第二つるぎ号」を完成し、昭和六年に赤羽航空機製作所を設立したが昭和十年に倒産、失意の中で亡くなっている。

剣岳で採掘された、モリブデンは飛行機のエンジン部のもっとも力のかかるシリンダーの合金素材して使われ、「つるぎ号」として帝都の空を滑空、陸軍にも納入されたという。

日本で初めて飛行機が飛んだのは明治四十三年。アメリカからマースという曲芸飛行家が来日して、妙技を有料興行したのがきっかけとなって、民間飛行家も生まれ、小規模ながらも各地に民間飛行場が設けられた。

岸飛行場は四万坪を整地して、そこに風洞、電機溶鉱炉、乾燥室等を備えた飛行機製造工場を併設する本格的なものだったという。開場式には岸博士自作の「つるぎ号」でテスト飛行が試みられたという。明治、大正、昭和を駆け抜けた先覚者のことを知る人も少なくなった。

参考 モリブデン (Molybdenum):原子番号 42 の元素。元素記号はMo。クロム族元素の一つ。銀白色の硬い金属(遷移金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は、体心立方構造 (bcc) で、比重は 10.28、融点は摂氏 2620℃、沸点は摂氏 4650℃(融点、沸点とも異なる実験値あり)。空気中では酸化被膜を作り内部が保護される。高温で酸素やハロゲン元素と反応する。

アンモニア水には可溶。熱濃硫酸、硝酸、王水にも溶ける。原子価は +2 価〜 +6 価。輝水鉛鉱( MoS2など)に含まれる。資源としては、アメリカで約30%、チリで約30%など、北南米で世界の過半数を産出している。

モリブデンは、人体(生体)にとって必須元素で、尿酸の生成、造血作用、体内の銅の排泄などに関わる。微生物の窒素固定に関しての酵素(ニトロゲナーゼ)にも深く関わっており、地球上の窒素固定量の70%以上は、モリブデンが関与していることになる。<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用>

5:27 出発前の美しい八ッ峰の岩峰です。
この天気に私たちは喜びましたが、小屋番の菊池今日朝さんは右の斜面の薄い霧を見て今日の天候は宜しくないとの言葉で天候の悪化を予想していました。この予想が当たるとは思いませんでした。
6:17 鉱山道の恐ろしいトラバース道です。
岩の他はなんの手掛かりはありません。過去にここの難所で遭難された方もいます。
昔はここを人力で重い重いモリブデンの鉱石を運んでいたのです。人間の力とよくぞこんな所を仕事場にしていたのかなーの思いで気持ちが一杯になります。

6:57 鉱山道を終了するとアイゼンを着用して小窓雪渓までの急斜面を恐る恐る下ります。
7:10 小窓雪渓の登りです
ガスは益々深くなり、どこやどこか分かりませんがとにかく真直ぐのぼりますが、斜度が厳しくなり、地図をみると左に寄りすぎているかも知れないと右に右に寄り、やや緩やかな雪渓を登りつめるとドンビシャで小窓に到着しました。
7:59 せっかくの小窓ですが全く景色が見えず残念です。

9:59 小窓から尾根どおしに小窓ノ頭に向かい途中から左へ斜面を2本の雪渓を渡ります。
恐ろしいと言われた雪渓もアイゼンとピッケルで難なく通過しました。もっともガスで恐ろしい急斜面が良く見えなかったせいかも知れません。
この部分のルートハンティングに苦労した報告が多くありましたが、ぴったりの良い道を見つけOKでした。
10:15 ここからは急斜面の岩場を小窓ノ王の基部まで岩に掴まりながら一気の登りです。

10:56 巨大な小窓ノ王の基部の乗越に到着しました。大岸壁に圧倒されました。
11:01 小窓ノ王の大岩壁の下をトラバース状に下る道がついています。
ちらっと池ノ谷ガリーの大崩が見えただけです。
11:21 トラバース道が突如として消え、霧が深くて分かりません。
漸く霧が薄くなると左手斜面の岩くずの間に道らしいトレースが現れました。
11:03 美しいウサギギクが楽しませてくれました。

11:28 三ノ窓に到着し、東へ三ノ窓雪渓方面をみますがガスの中です。
勿論反対側の池ノ谷雪渓もみえず、楽しみにしていた池ノ谷雪渓左俣ルートの状況も確認できませんでした。池ノ谷雪渓から詰めあがるルートはこの三ノ窓に上がってくるのです。いつかはチャンスがあればと思っており、確認できなかったのは残念です。
11:33 三ノ窓にある大きな岩の下に岩小屋があります。
岩小屋は背が低いものの6名程度は泊まれそうです。岩小屋の中にガスボンベがぽつんと残されています。ただこの三ノ窓付近はクライマーのテント【泊】の人のゴミが大量に岩岩の間に捨てられ、マナーの悪さにあきれます。
11:33
11:57 ここからは池ノ谷ガリーの大崩の登りです。
踏み後はあちこちでどこを歩いても崩れます。標高200m差を一気に登りますがはかどりません。途中で休憩をはさんで登りました。
12:05 池ノ谷ガリーはこんな道ばかり
12:52 漸く池ノ谷乗越の残雪にぶつかり池ノ谷ガリーは終了でした。
ここまでかなりの体力消耗でした。結構後までこの登りの消耗がききました。

12:57 せっかくの池ノ谷乗越もガスの中 勿論長次郎雪渓右俣も見えません。
13:07 ここから池ノ谷の頭への50mの岩壁の登りです。逆コースでここを下れと云われるとロープが欲しくなるところです。
13:18 チムニー状のところを詰め上部は左へ岩稜へ逃げて登りつめます。
13:19 チムニー状から岩稜へ抜け緩やかになって池ノ谷の頭です。標高は2900mに届きそうな場所です。
13:29 池ノ谷の頭から見る双耳峰です。
13:42 岩稜帯を右にいったり左にいったり、とにかく先へ進むしかありません。
13:45 岩稜帯にあるテントスペースです。剣岳付近ですれ違ったクライマー二人はここで泊まるそうです。
13:50 かなりおっかない岩稜が続きますが、ガスで下が見えないことが幸いでしょうか。
13:52  どこまでもどこまでも岩稜です。
14:05 岩陰に咲くイワベンケイです。これだけ美しいものは稀です。
14:41 ついに待望の長次郎ノ頭(標高2930m強)で剣岳に次ぐ高峰です。あの剣岳と並んでいる高峰です。

14:57 ここから長次郎のコルへ懸垂下降をします。
依然としてガスが濃く、長次郎ノ頭から長次郎のコルへ下る岸壁の懸垂下降の支点のある場所が見つけられるか心配でしたが、幸いすんなりと見つかりほっとしました。
ここで捨てロープを支点にかけ、ロープで懸垂下降の準備をします。
15:10 まずは渡辺さんからです。
15:10
15:19 最後に細谷さんが下り、そしてロープを引き回収しました。下りではここはしっかりロープの必要な場所でした。
15:32 長次郎のコルに到着しました。
懸垂下降地点からはあっさり長次郎のコルに到着しました。時間も15時を過ぎたことから剣岳往復は断念し、長次郎雪渓左俣を下ることにしました。アイゼンを付け下る準備です。
15:45 奈落の底に下りるような急傾斜の雪渓ですガスで下が見えないからよいようなものです。
15:45 大きなシュルンドが口を空けています
標高2750m付近まで下ったとき前方に幅20m深さ20m程の大クレパスが行く手を阻みました。左右は大岸壁でとても抜けることが出来ません。トレースも引き返しています。淵に近寄ると恐怖で足が震えるようです。無条件で引き返すことにします。
引き返すもときた雪渓も急傾斜に感じて斜面をピッケルでピックを差しながら登りでした。
16:22 剱岳へ登ることにします。
直ぐに判断したのでロスタイムは30分ほど、池ノ谷乗越に戻ることもできず、結論は剱岳に登り別山尾根を下ることしかありません。計算すると相当な時間を要します。真っ暗の中、慎重に行動するしかありません。

16:20 時折ガスが晴れて長次郎ノ頭が姿を現しました。疲れた身体でしたが全員から歓声がでます。あの頂きに登ったんだ。
17:10 へとへとになって剱岳山頂に到着しました。夏のシーズンには大勢の登山客でごったがえず山頂も今は私達の貸切です。
幸いなことに天気は急速に回復して来ています。遅くなっても慎重に下山を心がけます。
17:36 帰路に選んだ別山尾根からガスが晴れて素晴らしい岩稜が現しました。
17:42 蟹の横這いの難所を下ります。元気なときは感じなかった高度感も疲れた身体には感じます。
17:43 夕方のガスの晴れた別山尾根の写真です。
18:04 夕闇の迫る別山尾根の岩稜を下ります。
19:20  暗闇に灯る剣沢小屋の明かりです。
19:00ついに日没となり、幸い剣山荘とケータイが繋がり、暗くなり疲れているので慎重におりるので21時ごろになるとの連絡を入れ、先方も部屋の収容人数に余裕があるかを確認し、待っているとの返答でした。
これからはヘッドランプを付け剣沢小屋や剣山行の小屋の明かりを見ながらの行動でした。
21:38に剣山荘に到着し、待っていた受付の方は剱岳防災ネットワークで私達の下山遅れを心配されていたようで各所に確認の手配が出ていたとので、登山指導センター、真砂沢小屋、池ノ平小屋、と連絡を取り合っていたようで、大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げました。新装の快適な小屋でカレーライスを食べほっと一息でした。
早速 2段式の部屋の上部に布団を敷き就寝に入りましたが部屋が暑いやら、神経が興奮したのか3時ごろまで眠られませでした。
6:25  夕べお世話になった剣山荘です
今日は朝から正真正銘の晴れです。小屋の人にゆうべはあなたたちの剱岳からの下山の懐中電灯の光を見て、小屋の明かりをつけておいたとの話を聞き、御礼の挨拶をしてこれから剣沢雪渓を下って真砂沢小屋までテントや寝具の回収に向かいます。


真砂沢ではご迷惑のお詫びを申し上げ、テント、寝具等を回収して再び剣沢雪渓を登り返します。

9:39 登り返しの剣沢雪渓からみた長次郎谷雪渓上部です。
昨日阻まれた長次郎谷雪渓の左俣には太い二本のクレバスが左右に走っています。通常なら登っている登山者もいますが、今日はいません。平蔵谷雪渓に遅い時間に登っているパーティがおり、長次郎谷で行き詰って平蔵谷雪渓を登っているのではないかと考えています?
11:46 温度も上がり剣沢雪渓の詰めは厳しく感じました。
昼過ぎに再び剣山荘に戻り預けていた荷物を再びパッキングします。桑村さんはどうしても明日は出勤しなければならないため、共同装備をはずして
室堂に一足先に向かいました。どうやら最終の富山行きのバスに間に合い、富山駅前の温泉で汗を流し、時間を調整して富山からの夜行バスで帰京しました。
14:09 振り返ればくっきりとした剱岳が威張っています。
剣山荘から別山乗越まではいつも通る剣沢とは異なり、剣御前をトラバースするルートで剣沢から見上げると快適そうなルートも岩ゴロゴロであまり良い道ではありませんでした。
別山乗越からはジグザグの道を下るのですが遅い時間を次から次へと登ってくるのにびっくりです。これだけの大量の登山者をどこに収容するのでしょうか。布団1枚に2名づつ寝るなどと剣山荘で言ってたようですが、大変です。
別山乗越から雷鳥沢へ下る登山道の脇に雷鳥が居ました

別山乗越を下り、雷鳥沢キャンプ場にテントを設営し、10分程歩いた雷鳥沢ヒュッテに日帰り入浴をし4日間の汗を流しました。ヒュッテの浴槽からは素晴らしい立山連峰の雄大な景色が見られました。素晴らしい。テントに戻ると激しい雷雨に見舞われましたが、のんびり夕食を今回の山行を振り返っての歓談でした。
5:15 夕べ一晩お世話になった雷鳥沢キャンプ場です。夕べの雷雨で一段と残雪の量が減ったようです。

一日遅れた山行もいよいよ最後です。1時間ほど歩いて室堂につけば後は黒部アルペンルートに乗るだけです。
7:38 ゆうべ日帰り入浴した雷鳥沢ヒュッテです。見た目よいかなり痛んだ建物でした。
8:24  晴天の弥陀ヶ原 ミクリガ池に映える立山連峰です
8:12 富山県の学校登山の元気な子供たちと先生に会いました。全員が立山に登ります。
テレビで紹介されました。にっぽん紀行 「12歳の「成人式」〜みんなで目指した立山山頂 」
8:33 弥陀ヶ原を散策する人たちにとっては素晴らしい散歩道も長い重荷を背負った登山者には結構こたえるものです。 長いアップダウンのある石畳もいよいよこの登りで室堂に到着します。

10:02 帰路に歩いた黒四ダムの放水に美しい虹が掛かっていました。
室堂から黒部アルペンルートを乗り継いで2時間あまりで扇沢の駐車場に到着しました。松川村の立派な日帰り温泉施設すずむし荘で温泉と食事を楽しみ高速道路で帰京しました。
長次郎谷左俣を下れず下山遅れをおこし、地元の関係者にご迷惑をお掛けしたことはひとえに剱岳への経験不足、残雪期の雪渓の変化に対する読みやエスケープルートの研究など、課題は多いようです。
なかなか剱岳のバリェーションルートに挑戦する機会は多くありません。小窓尾根から見た池ノ谷雪渓の凄さは忘れられません。池ノ谷雪渓から三ノ窓への雪渓登りなど夢でしょうか。

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