紅葉の涸沢行き
期日2010年10月8~10日(前夜発)
参加者 山本(暁) 他1名
1日目  上高地・800発―横尾・1230―涸沢ヒュッテ・1700着

秋の涸沢は四年ぶり。沢渡からのタクシーの運転手さんが「今が一番いいとき、今年はきれいですよ」と教えてくれる。天気は上々で荷揚げのヘリコプターがはっきり見える。タイツにスカートの若い女性や子どもづれの若いお父さんやお母さんが目立つ。この夏四年ぶりに登山靴を履いて乗鞍に登ったけれど、今回は私にとっては長い行程なので、とにかくゆっくりゆっくり歩く。足がつりそうになったり、脛が痛くなったりしながら12時に横尾に着いた。早々に食事をして出発。夕方から天気がくずれるという予報だが、登山者はいっぱい。
本谷橋をすぎてしばらしたら、腰が痛くなってきて大きな岩を見つけては休憩する。涸沢ヒュッテが上方に見えるあたりからは真っ赤な ななかまど街道となり、斜面の緑、赤、黄がとってもきれい。最後に段々の大登りで涸沢ヒュッテに到着、ホッ。ヒュッテは、雨の予報にキャンセルが出たのかゆっくり眠れた

2日目   涸沢小屋 1日中雨
 朝、涸沢小屋に行ってみる。ここでもう一泊という人が何人もいて、いろいろな山の話や、大阪の鶴橋の話まで出て盛り上がる。「ここの食事はおいしいよ」の声につられて、雨のことだし今日は涸沢小屋に泊ることにした。急階段を下りたところに2段ベッドの部屋があり、その下段。狭めの布団1枚に枕が3つ、タテに並んでいる。時々ガスが切れてテラスに出てみるが、稜線はすぐに隠れてしまい雨ばかり。雨のなかの紅葉はとってもきれいだけれど、足も痛いことだし丁度いいやと一日ゆっくり小屋で過ごす。それにしても登りで筋肉痛になるなんて・・・。
何度も天気予報を見にいくが、あすは朝の9時まで雨。カールと山々がどうか見ることができますように


3日目 涸沢小屋700発―涸沢ヒュッテ930発―横尾1510発―上高地1740着
朝4時45分、食事の用意ができたとのアナウスが入る。雨はビシャビシャと降って外は何も見えない。サンケイツアーの人たちは6時過ぎ雨の中を出発していった。7時、雨が小降りになり、雨具をつけてテント場へ降りる。雲のあい間からほんの少し日がさしはじめた。大きな岩かげで雨を避けていると、「ウォーッ」という歓声が涸沢ヒュッテの方から上がる。青空が出たのかな。声につられてヒュッテのテラスに上るとカメラマンがいっぱい。私は4,5人の集団の隣に陣取った。さっきの“ウォーッ”は、カールに虹が出たのだった。みんなはまた虹が出るのを期待して、うしろから日が射すのを待っている。朝4時45分、食事の用意ができたとのアナウスが入る。雨はビシャビシャと降って外は何も見えない。サンケイツアーの人たちは6時過ぎ雨の中を出発していった。7時、雨が小降りになり、雨具をつけてテント場へ降りる。雲のあい間からほんの少し日がさしはじめた。大きな岩かげで雨を避けていると、「ウォーッ」という歓声が涸沢ヒュッテの方から上がる。青空が出たのかな。声につられてヒュッテのテラスに上るとカメラマンがいっぱい。私は4,5人の集団の隣に陣取った。さっきの“ウォーッ”は、カールに虹が出たのだった。みんなはまた虹が出るのを期待して、うしろから日が射すのを待っている。

わたしの隣の人にサインを求める人がいて、夫が小屋の人に“だれか”と訊ねたら、写真家の内田修さんだった。(ウン知ってる、知ってる)。

雨上がりの大気の劇的な動きで、雲がわき、時々日がさすという紅葉を撮る絶好の写真日和になった。 プロさんたちは、“ホラホラ陽が入るよー、来た、きた、来た。パシャ・パシャ・パシャ”“ハーイ線が入るよ、パシャ・パシャ・パシャ”。 私もカメラを同じ方向に向けて写真を撮る。陽の動きが落ち着いたところで、内田さんが ななかまどを前景とするカール撮影の「とっておき」のポイントを教えてくれた。

戻ってきたら、「撮れましたか?」「このカメラなので・・・」「それで好いんですよ、チョット貸して下さい」。なんと、私のコンパクトデジカメで写真家・内田修が「とっておき」の写真を撮ってきてくれたのだった。(ヤッター)
9時過ぎに「明日はピーカン☀でダメなんだよナ」と云いながら、「ぼくたちももう降りますよ」とプロさんたちは機材を片付けはじめた。『山々が見えたし、もう思い残すことはない』、内田プロたちにお礼を言って 9:30下山にかかる。降りる人、登る人に道を譲りながら何とか15:00に横尾についた。あとはほとんど休憩無しで17:40分上高地バス停着。
筋肉痛と腰痛の後遺症は残ったけれど、思いきって行って良かった三日間となった。




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