初冬の奥多摩山行 |
雲 取 山 |
期 日:2010.12.25〜26 参加者:L日比野 SL高橋 豊田 福井 橋本 蔦 佐藤 他会員外 遠藤 |
コースタイム 12月25日(晴) 新宿6:22==8:28奥多摩駅8:35==バス==9:10鴨沢9:23──9:53林道と交差── 11:34堂所──12:38七ツ石小屋(昼食)13:05──13:44ブナ坂(ここからアイゼン着用)──14:27奥多摩小屋──15:35雲取山山頂15:42──16:10雲取山荘【泊】 19:55消灯 12月26日(晴) 起床6:05 出発7:12──7:53雲取山山頂──8:16小雲取山──8:43奥多摩小屋──9:24七ツ石山の巻き道でアイゼンをはずす──11:47林道へ出る──12:12鴨沢着 タクシー到着12:40 奥多摩駅着13:10(駅前で慰労会)14:42奥多摩駅発 |
ここで改めて朝のご挨拶と準備体操をして9:20スタート。冬晴れのいいお天気で期待が膨らむ。 舗装道路から林道、車道をまたぎ、30分に一度の休憩を取りながら登りが続く。サクサクと落ち葉の上を歩き、冬の日だまりは暖かく優しい気分だが、日陰になった途端にキーンと寒く、長い霜柱が崩れずに綺麗に残っていた。「1月山行予定の霜柱の花ってどんななのかな?」とか、「北風と太陽のようだね」等とおしゃべりしながら快調に進むと、富士展望台・七つ石小屋まで5分の看板がありそちらの尾根道へ行くことにする。小屋内での休憩は有料だそうで、富士山を正面に見ながら日向で昼食をとり、力を得て13:00過ぎに出発。 このあたりから雪が少しあり凍ってはいなかったが、ブナ坂分岐でアイゼンを付ける。ここの登りからが大パノラマで感動の連続だった。抜けるような青空と白い雪が清々しく、アルプスと富士山の雄大な景色の写真をたくさん撮った。
だんだん雪も増え、寒さも本格的になり広々としたヘリポート先で短めの休憩。林の中にてっきり廃墟かと思ったら、営業中(現役)の奥多摩小屋と聞きびっくり、今晩の宿がここでなくて良かったとホッとした。
小雲取山を経て避難小屋へ到着。この時点で気温−9℃と知り、顔が凍りかけた。この先に雲取山山頂があり、看板前で記念撮影をする。眺望が良く、開放感いっぱいでいつまでもいたいくらいだった。 ここから少し下り、本日のゴール雲取山荘に向かう。ログハウス風の外観でやった〜と思う。が、部屋に案内されほっとひと息・・・と思いきや、寒くて寒くて寛げない。炬燵でぬくぬくどころではなく、8人身を寄せ合い、毛布をかぶりながら到着の乾杯をした。しかし、今日のルートを振り返りながら、真面目に翌日の帰路の相談を行きつ戻りつしながら詰めたり、山荘のご主人がお宝収集家だとか、笑いと話が尽きなかった(笑って体温が上がった気も・・・)。 夕食後はロビーのストーブを囲み宴会。甘酒がとても美味しかった。 途中夜景が綺麗と聞き、持ってきた服を全部着込み外へ出ると、本当に都心の夜景が煌めき、星空が輝いていて綺麗だった。 明朝7:00出発と確認し、21:00消灯。 豆炭の炬燵に足を入れ放射状に寝場所を確保。寒さと、ごうごうと鳴り響く風の音になかなか寝付けなかったが、いつの間にかウトウトし朝4:30に部屋の灯りがつく。リュックの中のペットボトルの水が凍っていて、我々は氷点下の部屋で眠ったのかぁと思う。 朝食を済ませ、6:50日の出とともに気分も明るくなり張り切ってチェックアウト。玄関前でアイゼンをつけるが、−5℃で寒いを通り越して手が切れそうに痛かった。予定通り7:00出発。昨日以上に風が強く吹いている。朝陽が昇り、東京湾に反射し光っているのまで見渡せた。 山頂で記念写真を撮り、この景色とお別れするのは寂しかったが、また違う季節にも来てみたいと思いながら前日登ってきた道を折り返し下った。 一ヶ所前日とは別のコースを通ったので、小さな橋を渡り、小さな滝が凍ってつららになっているのが見れた。 全員無事下山し、奥多摩で反省会をし、次回は三条の湯ルートで行こうと約束してお開きとなった。 <雲取山は、本や写真で見てずっと行きたいと思っていたので、今回念願叶い、期待以上の展望と本当に楽しく嬉しい山行でした。リーダーの日比野さんはじめ、メンバーの皆様どうもありがとうございました。>
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9:24 奥多摩湖の最も奥にある鴨沢の部落でバスを下り、緩やかな坂を人家の間を抜け、長大な尾根道に取り付きます。 |
5:45まだ暗いなか家を出て、立川7:05発青梅線内で集合。 |
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10:17 鴨沢部落標高450mから1200m付近まではこのような素晴らしく整備された尾根道が続き、しらずしらずに高度を稼ぎます。 |
舗装道路から林道、車道をまたぎ、30分に一度の休憩を取りながら登りが続く。サクサクと落ち葉の上を歩き、冬の日だまりは暖かく優しい気分だが、日陰になった途端にキーンと寒く、長い霜柱が崩れずに綺麗に残っていた。「1月山行予定の霜柱の花ってどんななのかな?」とか、「北風と太陽のようだね」等とおしゃべりしながら快調に進むと、富士展望台 |
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10:18 鴨沢の部落から1時間ほど歩いたところに廃屋があります。よくよく見るとなかなか立派なつくりで、建築当初はさぞかし立派な大きな建物であったと想像されます。むかしはどんな方々がどんな生活をしていたのでしょうか? |
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11:34 登りで見つけられなかった堂所(どうとこ)の場所は自宅で写真で振り返ると、道標の柱に堂所の字が記載されていました。尾根にある小じんまりとした広場でした。 甲州街道の裏街道とも呼ばれた青梅街道は、江戸時代には重要な交易道路でした 。 青梅街道 鴨沢部落から3時間半ほど登った七ツ石山は「さんかくてん20周年記念山行」として2006年5月に登りました。 山頂下にある七ツ石神社は石灯篭や鳥居を構え、やや朽ちかけていました。祭神は平将門で平安時代、将門は東国の独立を謀って、将門の乱を起こした。この乱は一か八かの賭けであったということで、平将門に祈願すると勝負に必ず勝つとの事で.将門は勝負師の信仰を受け、神社の祭日に賭場がたったという。七ツ石山にも次のような伝説があります。藤原秀郷、平貞盛軍に追われた将門軍はこの山に陣地を構え。6体の藁人形を作り、将門はその真ん中に立ち、追手軍に立ち向かい。どれが将門かと迷う秀郷に、成田不動のお告げがあって、ようやく本人を突き止め、矢は違わず命中した。とたんに7人の武者は岩になった。これが七ツ岩の由来であるという。今回は残念ながら時間がなく迂回路を利用した。 開けた尾根の上にある堂所の広場は昔、七ツ石神社の祭礼の時、大きな賭場が開かれ、見張りが手入れの役人を麓で見つけ伝令がとすばやく連絡し大宴会に変わったり、山に逃げ込み役人を困らしたようである。 交易ルートを支えた馬子や裏街道を歩いたヤクザ、近年では小河内ダム(奥多摩湖)建設で働く男達を集めたヤクザの口入やがこの山の中の賭場で楽しんだり、すってんてんになったことを思うと男の賭け事好きの歴史を思い返します。 |
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12:24 真直ぐ進むと七ツ石山を巻く道ですが七ツ石小屋前で昼食をとる為、右の尾根道へ上がります。 |
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12:38 七ツ石小屋は無人小屋ではありませんでした。お兄ちゃんが寂しそうに本を読みながら小屋番をしていました。 |
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12:46 小屋の前で食事をとるグループが多く、私達も日向ぼっこをしながらの昼食です。 |
七つ石小屋まで5分の看板がありそちらの尾根道へ行くことにする。小屋内での休憩は有料だそうで、富士山を正面に見ながら日向で昼食をとり、力を得て13:00過ぎに出発。 |
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13:17 初冬は日没が早いので七ツ石山には登らず、巻き道をブナ坂までほぼ平行な道を進みます。 |
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13:45 巻き道からブナ坂分岐に到着すると雪が多くなり、念のためアイゼンを着用します。 |
このあたりから雪が少しあり凍ってはいなかったが、ブナ坂分岐でアイゼンを付ける。ここの登りからが大パノラマで感動の連続だった。抜けるような青空と白い雪が清々しく、アルプスと富士山の雄大な景色の写真をたくさん撮った。 |
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13:55 石尾根を雲取山を目指して登りますが、ところどころ夏道が顔を出し、雪面を選んで登ります。 |
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14:20 広々とした緊急用のヘリポートも雪の下です。真中の峰はヨモギノ頭、右へ小さなコブが小雲取山、右の山が目指す雲取山です。 |
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14:27 ヘリポートの直ぐ先に奥多摩小屋があります。テントパーティ数組はほとんどこの周辺にテントを張りました。 |
だんだん雪も増え、寒さも本格的になり広々としたヘリポート先で短めの休憩。林の中にてっきり廃墟かと思ったら、営業中(現役)の奥多摩小屋と聞きびっくり、今晩の宿がここでなくて良かったとホッとした。 |
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14:29 七ツ石山付近では雲に隠れがちの富士も雲が取れ、今年最後の流麗な姿を見せました。 |
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15:09 奥多摩小屋からの登りは久しぶりの厳しい急登ですが距離はたいしたことはありません。 |
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15:12 石尾根は終始 富士を振り返りながらの登山です。 |
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15:15 小雲取山からは雲取山頂上避難小屋が見えます。 |
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15:30 雲取山頂上避難小屋は目前です。最後の頑張りです。 |
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15:34 頂上避難小屋前の広場から見る富士です。いろんな標識がたち、一瞬山頂と間違えます。山頂は50mほど奥にあります。 |
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15:34 石尾根から次から次へと登山者が登ってきます。 |
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15:43 雲取山山頂での記念撮影です。 |
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15:44 山頂からの雄大な富士です。 |
小雲取山を経て避難小屋へ到着。この時点で気温−9℃と知り、顔が凍りかけた。この先に雲取山山頂があり、看板前で記念撮影をする。眺望が良く、開放感いっぱいでいつまでもいたいくらいだった。 |
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16:06 山頂から雲取山荘まで夕暮れの雪の樹林帯を下ります。西から冷たい風が吹きつけ体感温度をぐっと下げ、指先も冷たくなりました。 |
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16:06 暖かそうな雲取山荘に到着したのですが、まずは無愛想な小屋の支配人から労山カードをうさんくさそうな目で見られ、部屋に案内されますが、冷え冷えしてあんまり暖かくない炬燵のみに暖かな部屋を夢みた皆様はがっかりしました。 |
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16:57 小屋に入り炬燵に入って皆様差し入れのおやつを食べながら夕食を待ちます。食堂での夕食は寒くてアルコールも進みません。 夕食は頑固一徹の名物の石井のハンバーク一筋だそうです。 勿論私たちの食事もそうでした。 |
18:38 食事から帰ってくると部屋の寒さは更にひどくなり、炬燵の上に更に布団と毛布をかぶせ、炬燵の中に全身をもぐりこませました。私は毛布を肩にかけただけでは寒さをしのげず布団を頭からすっぽりかぶります。 |
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19:24 |
部屋で我慢できず、ロビーのストーブの前に逃げ出し、遠藤さんのヒマラヤK2の話やら、小屋の支配人の「開運なんでも鑑定団」にでて小屋でがっぽがっぽと儲かった話題がでると、みなさんの寒さへの怒りは頂点です。従業員の話では実家には博物館ができるほど骨董品があるそうです。 |
ここから少し下り、本日のゴール雲取山荘に向かう。ログハウス風の外観でやった〜と思う。が、部屋に案内されほっとひと息・・・と思いきや、寒くて寒くて寛げない。炬燵でぬくぬくどころではなく、8人身を寄せ合い、毛布をかぶりながら到着の乾杯をした。しかし、今日のルートを振り返りながら、真面目に翌日の帰路の相談を行きつ戻りつしながら詰めたり、山荘のご主人がお宝収集家だとか、笑いと話が尽きなかった(笑って体温が上がった気も・・・)。 |
12月26日 |
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7:10 日のでは7時前で小屋を出発するときは西から真っ赤な太陽が昇ってきました。 |
豆炭の炬燵に足を入れ放射状に寝場所を確保。寒さと、ごうごうと鳴り響く風の音になかなか寝付けなかったが、いつの間にかウトウトし朝4:30に部屋の灯りがつく。リュックの中のペットボトルの水が凍っていて、我々は氷点下の部屋で眠ったのかぁと思う。 朝食を済ませ、6:50日の出とともに気分も明るくなり張り切ってチェックアウト。玄関前でアイゼンをつけるが、−5℃で寒いを通り越して手が切れそうに痛かった。 |
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7:50 雲取山山頂に登り返し、西に奥秩父の峰峰を見ます。 | |
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7:51 今日も素晴らしい雲取山山頂です。昨日は夕方、今日は朝の富士をバックに記念撮影です。 | |
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7:56 朝の富士は明るく見えます。 | |
昨日以上に風が強く吹いている。朝陽が昇り、東京湾に反射し光っているのまで見渡せた。山頂で記念写真を撮り、この景色とお別れするのは寂しかったが、また違う季節にも来てみたいと思いながら前日登ってきた道を折り返し下った。 |
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7:57 昨日登った石尾根を下って行きます。 | |
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9:54 七ツ石山の巻き道にある小沢も氷結して美しいツララが印象的です。 | |
一ヶ所前日とは別のコースを通ったので、小さな橋を渡り、小さな滝が凍ってつららになっているのが見れた。 | |
七ツ石からの長大な尾根は緩やかでなかなか里には下れません。結局11:38の奥多摩行きのバスに間に合わず、タクシー2台を手配すると直ぐに来るとので、ラッキーです。次のバスを待つと14時過ぎ、バス本数の多い奥多摩湖のダムのバス停まではくねくねした青梅街道を1時間も歩くのは面白くありませんでした。相乗り客もできて、タクシー代も安くなり、奥多摩駅前でゆっくり反省会を楽しむことができ、予定外に早く帰宅することができました。 | |
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