戦国時代を想って 甲斐の里山を歩きました
 御前山シリーズ後半
期日:2011.11.23(日)天候晴れ
参加者:L関根、福井、渡辺(綺)、末石、日比野、高橋、三部、上原、佐藤
コースタイム
JR新宿発7:52─(中央本線)─9:12四方津駅(出発準備)9:25─9:57大野ダム─10:05展望台10:12─10:40御春山─10:54峠(赤い立派な祠)─11:16標高475m南へ─11:50綱之上御前山(昼食)12:18─12:30分岐─(西へ向かう)─12:57集落へ下る─(JR中央本線沿いを歩く)─13:13登山口─13:50斧窪御前山(休憩)14:15─14:40登山口─(甲州街道沿いを歩く)─15:02JR梁川駅=JR新宿16:56
 
 





山梨県の西部、相模川上流の左右に点在する御前山に登ろうと企画され、2011.1.22に前半の三山を終え、 2011.3.13に後半の御前山シリーズを予定していたところ、あの3.11の東日本大震災で順延になり、漸く晩秋の11.23に実行されることになりました。3月前半体調が最悪で楽しみにしていた後半の部が参加できないとあきらめていた私にとっては延びたことは有難かったのですが?

いよいよ勤労感謝の日の絶好の日和を迎えての里山歩きです。
 
 923 御前山シリーズ前半のゴール地点の四方津駅です。前回この駅の上の丘に立派な住宅地が
あったとは思えない何もない駅前です。
 
 923 駅前から見る前回登った中央が鶴島御前山で左が栃穴御前山です。
 
 951 四方津駅から舗装道路を大野ダムに向かって談笑したり、渋柿をとったり道草をしながら歩きます。
 
 9:52  大野ダムの芝生の堰堤が見えてきました。左の山腹にダムを見下ろす展望台があります。
 
 9:56 大野ダムの堰堤を歩いてダムの端にある登山口に向かいます。勿論案内板等は全くありません。
 
 1003 大野ダムを見下ろす展望台はダムの直ぐ上です。最初の休憩はここです。
 
 10:07 展望台から大野ダム越しに集落をみます。以外に人家が多く、老人ホームのような施設も点在しています。
 
 10:08 展望台から右から鶴島御前山、栃穴御前山、コモアしおつの住宅地、四方津御前山が遠望できます。
 
 10:20 展望台から先は急に笹が深くなりました。
 
 10:41 ほどなく「御春山おはんなやま」と呼ばれる笹の中の山頂です。
 
 10:54 御春山を下ると峠には立派な祠と石仏があり、かってのこの峠の重要性が分かります。
今の車道がなかった時代は人があるいたり、馬車位は通ったのでしょう。
 
 11:35 暫く笹の中の道を歩み、休憩のあと関根リーダーより綱之上御前山の登りは急登で注意するように指示がありました。
なるほどトレーズも判っきりしない急登で木に摑まりながらの登りでした。たよりげなロープもありましたが目印程度です。
 
 11:43 頂上直下には今回のコース唯一の岩場がありました。
 
 11:46 綱之上御前山山頂からみる大展望です。手前の紅葉の山の先に右より鶴島御前山、栃穴御前山、そして左端に
四方津御前山を望みます。私の大好きな中央本線の車窓から見ていた「心のおむすび山」がそこにありました。素晴らしい!
 
12:16  綱之上御前山での記念撮影です。
山頂でゆっくり昼食をすませ、いよいよ一旦梁川駅付近の集落に下ります。駅近くの尾根で西に道をとり、のんびりと里山を歩きます。
 
 12:57 中央本線へ尾根を出て集落へ一旦でて、一般道を斧窪御前山へと向かいます。集落ごしの斧窪御前山が良く見えました。
 
 13;10 梁川駅の郊外には立派な邸宅が目立ちました。どんな方がここに住まわれているのでしょうか。
 
 13:13 中央本線のトンネルです。機関車の煙で燻された煉瓦に歴史を感じさせます。
かって中央本線の小仏から勝沼まではトンネルの連続で機関車がトンネルに入る度に窓を閉めたことを思い出させます。
 
 13:16 一般道を20分ほど歩き斧窪御前山の小さな看板を見つけ静かな登山道を登りはじめます。
 
 13:48 斧窪御前山には30数分です。山頂はテレビアンテナが設置されています。
2~3年前にはなかったそうです。
 
 14:10 斧窪御前山での記念撮影です。これで御前山シリーズは完了しました。
2010年12月04日 御前山(猿橋郊外)
2011年02月20日 鶴島御前山、栃穴御前山、四方津御前山
2011年11月23日 綱之上御前山、斧窪御前山
の月日をかけて御前山シリーズを終えることができました。この歴史的な里山に造詣が深くリーダーを
務めて頂いた関根さんありがとうございました。
 
 14:51 梁川駅に向かう途中にあった中央本線の古い橋梁です。奥に新しく架け替えられた
新しい橋が架かっています。
間違えがなければ110年前1902年(明治35年)にこの区間が開業した時に作られた橋梁ではないかと思います。
このあたりも蒸気機関車がスイッチバックで登った遺構が残っているかもしれません。
 
 15:21 帰りの電車を待つ間に梁川駅のホームから見た斧窪御前山です。中央本線の車窓から見ていた
「私のおむすびやま」ともお別れです。今後も名も知れない「おむすび山」を見つけては登りたいと思います。
どこの「おむすび山」も里の人々に大事にされ、ひっそりと石仏が祀られていることでしょう。

 

◆御前山シリーズ前半はこちらをクリックしてご覧ください

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