湯の丸山行記
期 日:3月9日(金)〜11日(日)
参加者: L福井 SL高橋(美) 堤 深沢 宮林 川田 小関
金子ファミリー3人(2日目より参加)
行 程:
□ 1日目 新幹線組と車組に別れ湯の丸ロッジに集合
午後 ゲレンデ滑走
□ 2日目 午前 湯の丸山(スノーシュー・山スキー)組とゲレンデ組に別れる
午後 ゲレンデ滑走
□3日目 午前 池の平(スノーシュー・山スキー)組とゲレンデ組に別れる
午後 新幹線組と車組に別れ帰宅
1日目 3月9日(金曜日)
小雨の中、6:30待合わせ場所で宮林さんにピックアップしてもらい、次の川田宅に向かう。6:40川田宅着、インターホンを鳴らすも応答なく、携帯電話をかけるも、すぐに留守番サービスに繋がってしまう。やむなく、次の堤宅に向かう。堤宅より湯の丸目指して出発。
途中、福井さんより、川田さんは時間を勘違いしていた事と、2日目から参加予定であった深沢さんが1日目より参加可能となり、この2人で湯の丸ロッジに向かう旨連絡があった。
金曜日であったが、渋滞にもほとんど会わず10:30に湯の丸ロッジに到着した。新幹線組を待っている間、宮林さんによるDVD教材を使った机上講習が行われた。この間に、福井さん、高橋さんが到着した。
湯の丸ロッジの美味しい昼食を摂った後、風邪気味の高橋さんを残しゲレンデに出る。ゲレンデでは、宮林指導員によるカービングスキー教室が開かれ、福井さんの上達ぶりが際立っていた。3時より自由滑降となり4時過ぎに引き揚げたところ、すでに深沢、川田両氏は到着しており、川田さんは到着後、リフトの止まる4:30までゲレンデに出ていた。
ロッジの近くに日帰り温泉があると聞き、早速みんなで出かけ温泉を楽しんだ。 美味しい夕食の時(宴会?)を過ごした後、宮林さんによる講習が行われるうちに、1日目は終了した。(小関記)
2日目 3月10日(土曜日)
二日目の今日は湯の丸山スノーシュウーハイク(福井、堤さん)とバックカントリー(高橋、川田さん、宮林)とゲレンデスキー(深沢、小関さん)の3グループに分れる事となった。其々9時30分山荘を出発した。前評判で湯の丸山は鉄線柵が在るので間違えようの無いコースとの評判にてっきり登った道を滑るものと信じていた。この勘違いが後の大失敗の全てとなった。
リフトに乗り暫く平坦なコースを過ぎると登りとなる、スノーシューの福井、堤さんは先行し高橋、川田さん、私は此処でスキーにシールを付けた。此処で思わぬアクシデントが起こった、川田さんのシールのゴムが切れ装着不可能となった。バックカントリーにシールは絶対不可欠であり川田さんは此処で断念する事になった。高橋さんと私は準備をし登り進んだ。やがて風邪で病み上がりとの事で昨日山荘で寝てい高橋さんは「行ける所まで行くので先に行って下さい」とのこと故一人進む事となった。確かに坊主山で先行した福井、堤さん他更に先を行く2〜3人のパーティが時折雪の樹林から覗いた。急登が続き高橋さんの姿も見えず下山したのだろうと思い始めた。又この急登と幅の狭い登山道を滑り降りるのは難儀どころか可能かどうかとも思い始めた。この先もこの状態は続いた。果たして川田さんは昨年もこの斜面を快適に滑り降りたのだろうか?足元を見ながら滑降のイメージをしてみたがとても滑れる斜面では無い。やがて下りの事を先送りしていたが現実的に無理と判断し此処で断念する事にした。暫く休憩をし、シールを外し金具のステップをロックし下山の準備をしていると下から高橋さんが登って来た。断念したのでは無かった。滑り降りる自信が無い旨を話すと此の斜面では無く右側の柵の外を滑り降り晴れた景色を楽しみ休憩をする。高橋さんは私に滑降ルートを説明するとボーゲンで降りるため時間が掛かるのでるとの事、納得をした。又思い直しシールを付け登り開始。
途中で下山してきた福井、堤さんグループに出会う。暫く登り間食と水分を補給、やがて山頂に辿り着く。しばし晴れた景色を楽しみ休憩をする。高橋さんは私に滑降ルートを説明するとボーゲンで降りるため時間が掛かるので迷惑を掛けるとの配慮から先に出発した。私は、「踏み跡を辿ればいいや」位の軽い気持ちでボンヤリ下山準備をした。準備が整い辺りを見ると既に高橋さんの姿は無く滑り跡を追った。新雪は毎度の事、すこぶる気持ちが良いだが3月の新雪はやや最中雪となり重いため骨折しやすい。やがて樹林帯の中にシュプールが入って行き可也の上級者の跡らしく狭い樹林を綺麗なシュプールが書かれていた。高橋さんの跡では無いと思いつつも暫く辿る。やがて樹林も密度が増し右の登山道方向に行きたくも左方向に引かれているのを自覚していた。早く右に抜ける樹林の隙間をと探したが沢が深くチャンスが無かった。滑りながらの下山故もはや登り返す距離ではなく下山を選択する他無かった。上級者の滑り跡をトレースするのは難しく見失ったり再開したりの連続を繰り返す。やがて此のふみ跡がシールを付けた登りに変わっていた。(スキーの跡が二の字のまま登りに進んでいるのとストックの抜き跡が進行方向に向いている為想像出来た。)又下山方向にも微かなふみ跡もあったが之は雪が被り微かな踏み跡なのでシールをつけ登りを選んだ。暫くすると雪面ぎりぎりに登山ルート標識が見えた「先方向角間峠後方タンニン(雪が被り見えにくい)?」とあり,電話で川田さんに確認する事にした。
. 幸い山荘に居たらしく山荘主人と変わってくれ方向が違うとのこと故先程の分岐まで戻る事にする。此処で微かな踏み跡を辿る事とし30分ほど進んだ。すると茶屋らしき休憩所が見えその前方に鉄線柵と高さ3m位の植林が広がっていた。明らかに廃場となったスキー場と想像出来た故一目散に植林の間を滑り降りた。案の定林を抜け急坂を下ると広い道路に飛び出した。近くには鹿沢温泉と標識があった。「助かった〜」安堵と共に疲れがどっと出て道路にへたり込んだ。
. やがて金子さんご主人が車で迎えに来てくれ大変ご迷惑をお掛けした。後で検証するに湯の丸スキー場から左60度方向に下山し15度位戻った鹿沢温泉に下山した事になる。昔23才頃5月の連休に志賀高原横手山から嬬恋経由で草津に抜ける山スキールートの途中で第一発見者では無かったが白骨死体を見た経験がある。トランジスタラジオをたすき掛けに肩から掛けスキーを履いてザックをしょいマウンドに蹲って白骨化していた単独山行者を改めて思い出掛けに肩から掛けスキーを履いてザックをしょいマウンドに蹲って白骨化していた単独山行者を改めて思い出した。山をナメた代償がこれ程迄思い知る事となり反省しきりである。個人責任の山行で自分の頭で危険を予知し此の対策を自分で準備する当たり前の基本を怠った結果である。夕食前福井さん堤さんと共に近所のホテルの熱いお風呂に行ったが風呂の熱さと山の厳しさが身に染みた1日となった。 記録 宮 林

3日目 3月11日(日曜日)
湯ノ丸 最終日、やっと良いお天気に恵まれました。天気予報によれば午前中晴れ、午後から曇りの予報です。今日のリフト券を買っている人もおり、池の平湿原に行く人は3名、残りはゲレンデスキーとなりました。 高橋さんと私はスキーとスノーシュの予定でしたが、高橋さんのスキー靴がくるぶしに当たって痛いとの事で、スノーシューのみで行く事になりました。スキーが上手くない私は「良かった!」と安堵しました。時間が掛かってもスノーシューでのんびり歩いた方が気楽です。スキー上級者の川田さんはもちろんスキーのみです。 |
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第6リフトに乗り林道にでて池の平湿原に向かいます。今年は2年前に行った時より雪がずいぶんと多いようです。西の篭ノ登山を眺めながら池の平湿原の入り口に着きました。遅くても1時にはロッジに戻りたいので、湿原入口の東屋から雲上の丘〜見晴岳までのコースに決めました。雲上の丘からは浅間山も見ることが出来、見晴岳からは湯の丸山・烏帽子岳を間近に見ることが出来ました。ここから川田さんはスキーで斜面を一気に降り、湿原まで降りずに樹林帯の中を通り東屋で落ち合うことにしました。 |
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私たちも斜面をスノーシューで駆け下り樹林帯の中に入ったのですが、そろそろ東屋が見えてきても良いころなのに見えず何だか不安になってきました。そうしているうちに深沢さんから、川田さんが迷って湿原にいるとの連絡が入り、昨日の宮林さんの事が頭に浮かんできました。北に行き過ぎていると判り下に向かうと東屋がすぐ見えてきて、しばらくして川田さんとも無事落ち合うことが出来、ほっとしました。最後の湯の丸ロッジ、何だかハプニング続きでした。色々反省すべき点もあり今後の山行活動に役立てたいと思います。 皆さん、有難うございました。(福井 記) |
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