大ドッケ 福寿草の花園

日 程 204年 4月 5()

参加者 L佐藤・福井・渡辺綾・渡辺綺・三部・松平・関根(記)

コース
池袋(発)650──(特急)──812(着)西武秩父825──(タクシー)──845浦山地区川俣 出発準備855(発) 939細久保の廃屋──(トラバース道)──1020カラ沢入口
アイゼンを着用──(雪渓を登る)──1220福寿草自生地(昼食)1310──1331稜線──独標──1343──1350大ドッケ──1507送電線鉄塔──1528二十三夜石碑の峠──1555集落──1605金倉橋──(タクシー)──1620清雲寺で桜見物──(タクシー)──西武秩父駅(発)1725──(特急)──1846池袋駅(解散)

 

地図上ではルートの分りにくい大ドッケの標高1250m付近に福寿草の自生群落地があり、秘密の花園と言われている。ここ数年の間に多数の登山者や登山ツワーも入るようになり、もう秘密の花園ではなくなっているようだ。ネット上に福寿草の保護施策についての意見がたくさんよせられている。今回、幸いに福寿草の花園を訪れることができ感激したが、この素晴らしい花園が荒らされることなく咲き続けてほしいと思った。

 

 この冬、秩父は降雪が異例の多さで車窓から眺める山々には、雪がしっかり残っている。登山口から作業道を登り始めると廃屋や作業小屋が積雪で押しつぶされていた。鹿除けゲートを出ると急斜面についた踏み跡のような細い道を進むことになる。 が携帯のスコップで安全な足がかりを掘ってくれ助かる。福寿草群生地に続く長〜い沢は雪がどっさり積もっていて「まるで白馬の雪渓のようだね。」などと話し合うが、雪の下は水が流れているし白馬雪渓よりも何倍も急登!慎重にコースを選び上へ上へと進む。私はバテバテ、沢が二股に分かれる台地に人影が見えた時は花園だ〜とほっとした。福寿草の花園の感激は写真でみて下さい。写真撮影・昼食をとり、花園の右斜面を大ドッケの稜線目指して登ったがこの登りもとてもきつかった。ドッケとは突起が転じた言い方だそうだ。南西からひと登りで着いた頂上は、ここが?と思うほど小さな突起だった。しかし、下りの途中東側から眺めると標高1315mの堂々たる大ドッケだ。長い長い下山は標高700m近くの鉄塔までピンクのテープが道案内してくれ迷わずに下れた。その先の集落・金蔵橋までは桧の落ち葉に隠れた山里の道をさがしながら歩くことになった。

 

下山後、タクシーで秩父の桜の名所清雲寺に寄った。樹齢600年のエドヒガンサクラや紅しだれ桜を眺め、優雅なお花見を楽しんだ。

往復の電車からの風景は、まじかに満開の里桜、遠景は緑の中に点々と白く浮かぶ山さくらが次々とあらわれて春を堪能させてくれた。

もちろん電車の中でのおしゃべりも満開 楽しい花山行になった。

 





GPS軌跡








9:01 秩父駅からタクシーで20分ほどさくら湖を過ぎ、浦山川川俣地区で下車、ストレッチを終えオブジェのある橋を渡って出発です。


9:19 橋から標高で200m上部の細久保集落への道を登ります。残雪がしっかり残っています。


9:43 去年は建っていた廃屋も今年はこの冬の記録的な豪雪で倒壊してていました。


9:44 道を塞いだ廃屋を避けて先へ進みます。


9:52 去年はしっかりしていた鹿避けネットも倒れています。修復に手間も費用も大変でしょう。


10:00 ルート脇に鹿の死骸ありました。雪崩でしょうか、それとも餓えが原因でしょうか? 鹿の死骸を見るのは初めてでした。

 

10:18 鹿避けゲートから沢まで細くてすぺり易いトラバースルートが続きます。今年はスコップを持参し、足場を造ったのですが、それでもやはり神経をつかったようです。


10:28 トラバース道を終え、沢へ下ります。やはり今年は異常に雪が多いようです。


10:39 沢の入口で早速アイゼンを着用します。


10:51 アイゼンを着け、最初は雪の上を沢を踏み抜かないよう慎重にコースを選んで歩きます。アルプスの雪渓並みの雰囲気です。


11:59 途中では振り返るとここを帰りに下るとなると不安になるような斜度を感じさせるような箇所もありましたがさすがに標高1100m付近から上は斜度が緩やかになり歩き易くなりました。


12:19 遠くに人影が見え、福寿草見物の3人の登山者がいました。上部の落葉樹の中に黄緑色の斜面が福寿草の群生地です。


12:27 残念ながら曇ってきたので、福寿草らしい金色の明るさは出ませんでしたが、それなりに美しい。


12:28


12:52 こんな寂しい人里はなれた沢の中にこんな大群生地があるとはの思いです。


13:00 雪がとけ落ち葉の中から顔を出した福寿草です。


13:01 残雪と福寿草と福寿草に優る女性群


13:01 福寿草の群落の中で生えていない場所を探して恐る恐る写真を撮ります。


13:05 福寿草自生地の前で記念撮影です。


13:30 福寿草自生地標高1220m付近から1360m付近の稜線目指して登ります。踏み跡と赤布が目印です。枯れたスズタケを足元でカサカサさせながら這い上がりました。私が何十年か前に歩いた稜線はスズタケが群生して、掻き分け掻き分け歩いていましたが今は枯れて見通しが良くなって歩き易くなっています。PM2.5のせいかしら? 帰宅してネットで調べると鹿の食害で枯れているとの事。豊かな森林の自然体系ではスズタケは重要とのです。そういえば去年あるいた奥秩父の和名倉山も予想していたスズタケの群生も減り、多くの鹿の群れに会いました。


13:39 稜線に這い上がり残雪の前で記念撮影です。ここからは長い尾根を浦山地区を目指して下ります。


13:41 標高1300m付近の残雪の上を歩きます。これより下の稜線は残雪はありませんでした。道標は全くなく地図読みの世界ですが、最近つけられた赤布がやたらと多く、目に付いて良いようなうるさいような思いです。


13:56 小さい尾根上の瘤が大ドッケでした。小さな山頂でどこが大ドッケなのでしょうか。ドッケは突起が訛ったものだと3月の石坂の森ハイキングの時に地元のNPOの方に教えてもらいました。どうも下から見るとこの突起(ドッケ)が大きく見えるのかもしれません。


15:06 長い長い比較的緩やかな稜線を下って行きました。


15:09 目印の送電線鉄塔61号線の脇を通過し、30分もあれば金倉橋に着けるだろうとタクシー会社に迎車をお願いする。


15:32 二十三夜の石碑のある峠です。昔は二十三夜信仰の行事を集落の人々は行っていたのでしょう。右に行けば細久保の集落、左へ行けば金倉橋へ下れます。昔は難所の川沿いの道はなく、この道が細久保集落への唯一の道だったのでしょう。


国土地理院の地図にはしっかり記載されているので安心をしてた金倉橋へ下る道です。
往時は広く整備されて細久保集落への道として利用されていたのでしょう。道は徐々に悪くなり、最近は全く歩かれたようではありません。ところどころ崩壊してどんどん細くなっていきす。


15:38 それでも何とか人家のあるところまで来たところ、最近設置されたな道を遮断するフェンスが設置され、通行できません。鹿避けでなく、人を通さないようにしています。しかたなく強引に墓地に下り、墓地から民家へ向かい道へ出ました。


15:58 墓地から人家の庭先に出て金倉橋に向かいます。「すいません庭先を通って」と心の中で詫びながら通ります。

金倉橋は16:05につきました。タクシー2台は既に到着していました。二十三夜の石碑から金倉橋まで30分ほどでしたが、こんなところで苦戦するとは想定外でした。









16:21 タクシーで西武秩父駅への向かう途中寄り道をして、清雲寺の桜を見物して帰ることにしました。7分咲き程度と思ったら満開です。

素晴らしい桜を見物できた。良いタイミングで秩父に来られたと感謝です。



16:25 お見事なしだれ桜です。


16:33


16:28


16:28清雲寺の見事な桜は時を忘れます。



大ドッケなかなかの難コースでしたが皆さん元気に順調に歩るかれました。標高445mの麓から道を悪いトラバース道、傾斜のある残雪の沢道を詰めて標高1345mの稜線まで標高差900mを順調に登り、皆さんたいしたものだと敬服しました。







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