山行記録 五色ヶ原〜立山

日時89日〜12 参加者:阿部、同行 夫 

形式:テント泊&小屋泊

今年の夏山縦走は新型コロナウイルスの影響により、どこに行きたいか、ではなく、どこに行けるかとなった。勤め人の身では週末とお盆に山行をせざるを得ないので、テント場も小屋も予約が集中しており、場所の選定が核心だ。今年前半の入院の影響もあり、体力的なことを鑑みて、小屋泊にしたかったが、小屋の予約は難しく、テント場も予約がいっぱいで、予約なしで行くことができる山域、ということで薬師岳縦走となった。以前2泊3日でテント泊縦走経験はあるが今の体力ではとても無理なので4泊5日にしたが、結局、雨天で五色ヶ原ピストン+立山ということで3泊4日に落ち着いた。本来なら、4月くらいから低山ハイクから始めて夏山に向けてトレーニングをするが、今年は、ほとんど事前の練習ができず、毎日2キロ程度のジョギングを行うということを2週間程度行っただけで付け焼刃もいいところである。そのため、夫にテントやシュラフを背負ってもらい、10キロ弱の装備で行った。

 
























8月9日
 室堂~雷鳥沢野営場【泊】

前日夜に夜行バスで富山入り。お盆の帰省が大幅に減っているため、バスは簡単に予約が取れた。1800円という破格の値段で富山へ。そのためかバスは満員である。朝6時すぎに富山駅に到着すると、ちらほら山屋の姿がある。7時頃の立山駅行き電車に乗った。立山駅も空いていて、乗車定員も少なめなので、ぎゅうぎゅう詰めにされることもなく、スムーズにケーブルカー、バスを乗り継ぐことができた。お盆にこんなことはもう二度とないだろう。10時過ぎに室堂着。室堂は、今年はレストランをやっていないので、肉まんだけ買って雷鳥沢へ。地獄谷のガスの噴き上げで硫化水素の臭いがきつかった。午前中の到着でテント場にはまだまだ余裕があり、小屋に近い好位置にテントを張ることができた。今回は軽量化のためにいつもは3人用テントを2人で使っているが1〜2テントで2人なのでさすがに狭い。ツエルトをもう一つ立てて荷物置き場とした。しかし、何年もツエルトを携行しているものの、被ったことしかなく、1回もまともに張ったことがないことに気づき、ネットで調べながら立てる羽目に。あとはすることもないので、ビール飲んで昼寝し、ロッジ立山連峰にて温泉を堪能(体温チェックあり)。ここは下界のキャンプ場と変わらない。午後になると人が増えてきて、かなりテントが増えたが以前見た連休中ほどではなかった。風の吹き入れるテント場でもマスク率50%程度はある。大日岳に落ちる夕陽と晴れ上がった立山三山の風景を満喫し、就寝。

 




8月10日 雷鳥沢野営場~一の越~龍王岳~獅子岳~五色ヶ原【泊】

3時起床4時半出立。立山上部はガスである。五色ヶ原山荘に電話すると水は担いで来た方が良いということで、1人2リットルずつを行動中の水とは別に余計に持って行った。ほとんどの人は、別山乗越に行くが、我々はトラバース気味に一の越へ。最初縦走路への入り口が分からず、10分程度広大なテント場をウロウロしていた。一の越への縦走路はお花畑が咲き乱れ、まさに「立山曼茶羅」の世界であった。6時半一の越着。ガスガスにもかかわらず、立山へは、ガイド登山の一行も含め登山者は絶えない。五色ヶ原方面への縦走者もちらほらいる。12日はまた天気が崩れるようだが日本海側を通る台風の影響は読みにくい。7時過ぎに山荘を出立。ガスのなか、稜線ともあり風が強く日本海側から吹き上げてくるが、落ち着いて進む。最初のピーク、竜王岳の下り付近で、雷鳥を二羽発見。小ぶりのオスとメス。登山道をちょこちょこ歩いているので、しばらく写真を撮影。特に逃げる様子もなかった。

 

順調に歩を進め、鬼岳の巻きあたりの雪渓を2つ超える。前回は7月だったので残雪も多かったが今回は大したことはなく念のための軽アイゼンも出番なし。獅子岳から、一気に霧が晴れ、黒部湖から薬師岳方面、五色ヶ原まで全て見通せるようになった。頂上では30分ほど休憩。そこからの下りはザレており、400メートル近くを一気に下りるので、はしごも二カ所ほどあり、一番気を使う場所だった。1時間弱時間をかけてゆっくりと下りてみると、ザラ峠である。佐々成政が厳冬期のアルプスを越えた場所といわれるところで、立山カルデラ側への踏み跡もあるが、こちらに入る人はいない。ここから五色ヶ原まで崩壊地ギリギリの登山道を上って行き、ようやく台地に乗る。テント場への木道を小屋方面への分岐から20分ほど行くとテント場で会った。我々は何組かに追い越されたものの、13時前に到着。8時間以上行動するのは久しぶりだし、水が重いのでかなり疲れた。

 

テントは数張しかなく、広々とした場所を確保できた。しかし、後から16時頃までひっきりなしに登山者がやってきて最終的には50張くらいはあっただろうか?テン場は広いが埋まってしまった。水がジャブジャブではないものの蛇口から水が出ていて、特に水を携行する必要はなかった。夫は昼寝、私は散歩。その後、山荘まで登り道を15分ほど上がる。ここもお花畑でまるで天国のようであった。五色ヶ原も昔の信仰登山の頃の立山の山域に含まれるそうである。小屋の人たちが小屋には水がないということで、わざわざ降りてきて、水を汲みに来ていた。水は売っているがもったいないから汲みに行くそうである。我々はビールを購入して、ネットをつないで天気予報のチェック。翌日は午前中しか持たないかもしれない。夜は1〜2テンのために狭くて暑くて寝られず、テント入口を全開し、星空を見ながら就寝。

 

811日 五色ヶ原~獅子岳~龍王岳~一の越山荘~雄山往復 一の越山荘【泊】

3時起床415分出立。朝は綺麗な朝焼けで快晴。前回は雨の中を五色ヶ原に来て何も見えなかったので、大満足であった。天気が崩れる前に先を急ぐ。元来た道を折り返して戻る。下ってきた獅子岳の登りが辛いが1時間あまりで通過。伝説の野湯である立山新湯から煙が立ち上っているのが見えた。獅子岳の登り以降、天気はあっという間に悪くなり、ガス、西風も強く足が重くなる。着込みすぎて汗ばむ。9時半ごろに最後、一の越山荘への下りで、雷鳥をまたツガイで発見。今度は行きよりも相当に大きな雷鳥で登山道の砂に体をこすりつけてお風呂中であった。我々が近づいても気にもしていない。暫く観察して山荘へ下る。まだ10時過ぎだったが、中に入れてもらうことができた。個室なので布団を敷いてまずは仮眠。12時前に起きて食堂で食事を作り、夫はさらに昼寝。荷物が重いので夫もかなり疲れているようだ。私は、剱岳長次郎谷の名前の元になった宇治長次郎の伝記をずっと読んでいたが、立山信仰や登山の歴史が面白くかなりハマってしまった。

 

14時に夫を起こして、14時半すぎから雄山へ。ガスガスである。皆下りかけており、登る者は数名程度。15時半頃に頂上へ着いて奥社へ参拝。一瞬だけガスの切れ間から青空が見えた。夫は初登頂、私は10年ぶり二度目。前回は5月だったので、奥社は雪に埋まっていたから全く違う山のように見えた。神社の社殿は山小屋みたいな感じでお守りなど購入。今年はお祓いはコロナの関係でないそうである。行者は立山にはもういないのかと神社の人に聞いたら「は?」という顔をされたので、現役で信仰の山である出羽三山の月山などとは様相が違うようである。帰りは強風の中下山。我々が本日最後の登山者だった。食堂でテレビを見ていると、信州テレビで、コロナ感染者が出たから緊急記者会見をやっていた。感染者がでるたびに詳細を報道しているので、東京とはだいぶ様相が違う。往来は慎重に、とのテレビCMもやっていた。登山道でも五色ヶ原では誰もマスクをしていなかったが、現実に帰る。宿泊者は10名程度で、いつもは夏場は満杯だが、例年の10分の1だそうである。夜遅くから雨。

 

812 一の越山荘~室堂

この日は下山のみ。8時過ぎに下山。雨の中を神社関係の人や登山者が上がってくる、縦走者もいて、この天気で大丈夫かと思った。9時前に室堂に到着。一番近いみくりが池温泉もやっておらず、富山駅まで戻る。夫とパンフレットを読んでいたらこの周辺の山小屋のオーナーは、立山信仰や登山案内人で有名な芦峅寺出身者ばかりだという話になり、私も修験道と歴史に興味があるので、電車の途中、山腹に見える芦峅寺集落を目を凝らして眺めた。今度は芦峅寺も訪れてみたいものである。富山駅で荷物を預けて、電車で満天の湯へ。地方には少ない駅チカの入浴施設で助かる。登山者が結構来ていた。コロナの関係もあるし、猛暑で長居は無用。少しビールと海鮮で乾杯したのち、新幹線で帰宅。

 

体力的には厳しいかと思ったが、コースタイムに休憩時間をプラスαするくらいのペースで登ることができたし、筋肉痛も出なかった。退院後にコロナが蔓延し、自粛で外にも出ず、最寄り駅の10分くらいまでも歩けないくらい体力が落ちたが、ここまで戻ってきてよかった。しかし、身体も重くなっており、継続的にトレーニングを積んでいかなければと思う。以前は夏の立山なんて今は登る山ではないなどと思っていたが、今回は雷鳥沢で立山三山を目にした時に本当に登山はいいなあ、そして、健康の有り難みをシミジミ感じた。また、山小屋の経営的な問題は置いておいて、混雑していない山は落ち着いて登ることができてよかった。(阿部)

 

 






















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