連休の雪山山行 毛猛山塊 越後の山 |
期 日:2008.5.3〜5.5(前夜発) 登山終了後 入広瀬大白川の民宿に泊まり5月6日12:40頃帰京 参加者:L蓬生 SL新美 斉藤 細谷 松平 佐藤 |
コースタイム 5月2日 21:06東京出発 連休前日のため関越道大渋滞 深夜3:10 末沢の登山口付近にテントを張り仮眠 4:00就寝 5月3日 7:30起床 食事他の準備及び取り付き地点調査 8:28出発─11:51 920m地点分岐──12:28標高1040m地 点にテント設営 20:10消灯 5月4日 3:30起床 出発5:02──5:14足沢山──雪と薮を交互に進む──7:53太郎助山8:15──9:03百字ヶ岳(未丈ヶ岳から縦走の3人パーティと遭遇)──10:20中岳──猛烈な笹と潅木のブッシュ──11:30毛猛山山頂11:48─毛猛山頂からルートを北にとり過ぎブッシュを戻る─13:06中岳─14:10──百字ヶ岳──15:06太郎助山──ブッシュは暑く疲労度が増す──17:16足沢山──17:34テントサイト到着 テントが吹き飛ばされ中の荷物を取り出し別の場所 に再度設営 遅い夕食 歌と談笑22:00消灯 5月5日 6:20起床 出発8:12──920m地点分岐ルートを北北西にとる──9:21標高711m三角点──10:11送電線鉄塔──10:30渡渉──1042吊り橋(1名づつ渡るため時間を要する)─10:57国道252号に出る 行動終了─車で大白川の民宿着 【泊】 5月6日 民宿6:00起床 8:12出発 関越自動車道経由(連休最終日も午前中は車の流れ順調)12:40 帰京 |
毛猛山は蓬生リーダーが数年前か温めていた山、去年はメンバーがそれぞれ事情があってパーティが成立しなかった。今年こそはと企画するが、4月からの暖かさで例年になく雪解けが早く蓬生リーダーは連休山行の候補地の変更をメンバーに打診したが、そこはメンバーの多くが今年の機会を逃すと登れなくなるのではかいかと、藪漕ぎを承知で毛猛山に行きたいとの意志表示であった。 |
出発は連休前夜の21:00 都内〜関越道は大渋滞で深夜1:30頃登山口付近到着の予定が3:10 国道252号脇の空き地にテントを張り仮眠をする。8:30起床の予定であったが朝は明るく暑くなって6:30頃にはぼちぼち起き始め、寝不足の中、朝飯をとり出発の準備をします。 |
国道から対岸の登山ルートに取り付くには只見線の鉄橋を利用して対岸に渡らなければならない。日に4本しか通らないローカル線だからこそ悠々と線路の上を歩けるのだ。 |
8:41 登山ルートは542m地点を目指し只見線の線路から薮のすくなそうな場所を選んで這い上がります。 |
すぐに潅木と椿の薮に突入します。1時間ほど歩くと稜線上に踏み後がではじめ、少しは歩きやすくなります。 762m地点からは尾根が痩せ、潅木と岩稜とが続きます。気温はあがり大汗を掻きます。920m地点に赤布があり、右から711m地点から来る踏み後と合流します。漸く雪が樹林の間に見え始め、尾根筋の雪不足の不安が緩んできます。 |
高度を上げるにつれ、守門岳の美しい山並みが目に飛び込み、暑さと荷物の重さを和らげてくれます。 |
薮道に美しい石楠花が楽しませます。 |
イワイチョウも毛猛山塊全山に咲いていました。 |
標高1000mで突如として広い尾根筋に大量の残雪が残っていました。絶好の平坦地もあり蓬生リーダーは迷わずベースキャンプ設置の判断をしました。 |
ベースキャンプを設置し、美しい新緑と雪山を見ながら、ビールで乾杯しコーヒーを飲み、楽しく暖かい春の午後を味わいました。 遠望するのは守門岳です。 |
5月4日 いよいよ今日は毛猛山に登頂する日です。 |
4:50 朝日が山の端から出始め今日の好天気を約束します。 |
5:00 まずは足沢山を目指して出発します。 |
足沢山からの眺望です。目前に太郎助山 右に越後三山の左より中ノ岳、越後駒ヶ岳、八海山です。 右へ画面をスクロールしてください 中ノ岳 → → 越後駒ヶ岳 → → → → → → → 八海山 |
足沢山を下り、太郎助山への長い長い稜線を薮と雪稜あるきが続きました。 |
未丈岳 荒沢岳から越後三山のパノラマです。 |
薮道の間にカタクリの花が群生し、足元を注意しても踏まずにいられないほど群生しています。 |
長かった薮と雪稜をたどり漸く太郎助山に近づきます。2時間の予定が3時間近くもかかってしまいました。 頼みの雪稜もずたずたに寸断されたまに通る程度、薮は暑くて、手足をつかって枝や木をふりほどき時間がかかりました。 |
太郎助山頂です。予定以上に時間を費やしました。 |
太郎助山頂から見る足沢山の1000m付近です。稜線上の真ん中に遠くに小さく緑色のベーステントが見えます。 なぜか帰路の太郎助山頂からはそのテントが見えませんでした。目が悪くなったかなと思いましたが、事件でした。 |
太郎助山から尾瀬の燧ヶ岳を遠望します。 |
太郎助山から百字ヶ岳 中岳を毛猛山へと向かいます。毛猛の登りから振り返って見る太郎助山です。 |
毛猛山への登りは強烈な笹と潅木の混じったブッシュです。しばらくパーティの姿が沈み込み、声を掛け合い互いを確認しながら登ります。笹の後は石楠花のブッシュ、頂上近くになり漸く開けてブッシュが終了です。 |
11:30 漸く毛猛山山頂に着きましたが、山頂は暑く、ここまで予定時間を大幅に経過していることから早々に山頂を後にします。 |
毛猛山から見る会津の山々です。 村杉岳 丸山岳とマニアックな山々が連なります。 |
毛猛山からみる大パノラマです。守門岳 浅草岳です。 右へ画面をスクロールしてください。→→→→→→→→→→→→→→→守門岳→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→浅草岳 |
毛猛山から再びをブッシュの中に身を沈め、帰りはじめます。 |
毛猛山の下りでブッシュの中を抜けるとなんと北西が北北西におりて、帰路の稜線からはずれていました。 再びブッシュに戻り、ブッシュの中を右に漕いで漸く帰路の雪稜にたどり着きました。 |
帰路 毛猛山をバックに全員での記念撮影です。 |
百字ヶ岳から派生する尾根にあるピラミッドのような桧岳です。登りたいけど百字ヶ岳から往復4時間〜6時間はかかる難コースです。 こんな素晴らしい山なのになかなか人を寄せ付けないとは。 |
帰路も相当時間がかかると予想しました。薮は厳しく、雪面での照り返しも厳しく、全員が水不足の状態です。1500cc水では足らず、水筒に雪を詰め、溶かしたものをのんだり、雪を口の中で溶かしながら歩いたり、水不足にはまいりました。 朝の5時に出発し、この調子ではテントへの帰着は18時頃になると覚悟します。 |
ベースキャンプのある足沢山に近づいてきましたが、だんだん日が西に沈み始め、夕暮れの色に皆疲れました。 |
足沢山をなんとか登り、急な雪面をベースキャンプ目指して下りましたが、なんとテントがありません。 捜すと窪地に20mほど吹き飛ばされ、潅木にひっくり返って引っかかっています。中に相当な量の荷物が入っているのに荷物ごと吹き飛ばされたのです。 今朝の出発前に今日は温度が高くなるのでペグを雪の中に埋め直し作業をしたのに飛ばされたのです。 やっとこベースキャンプにたどり着いたのに、飛ばされたテントの中の荷物を引っ張り出し、再び整地をしてテントを張ってもうまくいかず、窪地にテントを張りなおしました。さすがに皆もがっくりしたけれども仕方がありません。テントが谷に飛ばされなくて良かったと慰めました。 夕食は大幅に遅れ、20時過ぎになりました。それでも今日の山行の成功と頑張りに感謝し、酒と歌とおしゃべりを楽しみました。 |
5月5日 今日は帰路に着く日です。ゆっくり起きて8時過ぎに出発、下るコースは往路やや違う711m地点コースを選択します。 920m分岐地点から先の道は多少の薮はあるものの道は明瞭に続いています。 |
711m三角点より北東の尾根を選びたかったのですが、踏み跡らしきものは、はっきりした北西の道を選び送電線鉄塔からの巡視路を目指して下ることにします。 送電線鉄塔に近づくにつれ、道は全くなくなり、結構激しい薮椿のブッシュの中を送電線鉄塔にたどり着きました。送電線鉄塔からは切り開かれた明瞭な道が沢に向かって続いていましたが、なんと沢は雪解け水で増水し、スノーブリッジも崩落しそうで利用できず、やや緊張しながらも沢をなんとか渡ります。 |
いよいよ沢を渡り、地図上の吊り橋を渡るだけでしたが、またまた吊り橋の敷板を全部外してあります。1人づつ脇のワイヤに手を掛け、足は鉄の橋梁に足をかけながら渡ります。下の渓流は結構な高さでスリルを感じました。国道にでて今回の山行は終了です。 |
最後の最後まで緊張感のある山行でした。毛猛山塊の雪が少なくブッシュで手にすり傷をつくり、足に打撲をしながらもすばらしい残雪と新緑と花を楽しめました。素晴らしい景色でした。満足です。いい山行ができ良い思いでの一つになります。 |
民宿で汗をながし、旨いビールと蕎麦を食べ、昼寝で疲れを取り、素晴らしい春を迎えた大白川の新緑と花と守門岳の残雪をみながらの散歩、夜は熊汁を頂き、それも良い思いでです。 企画をたて実行したリーダーをはじめ、力を合わせた皆様ありがとうございました。 |