−那須山域の一角・三倉山へ− 【メンバー】 新美、田口、佐藤、松平、蓬生(記) この山へは4年前の同じ時期に訪れている。雪の量はもう少し少なく、お宮のある登山口から林道を進み、少しばかりの雪の上をそのまま尾根筋まで這いあがった。私がワカンを忘れるというおまけつきだった(今度はカメラにメモリーの入れ忘れ!)。 この時は堤氏がいた。今日は田口氏に代わっているが、他は今回と同じメンバーだ。 当初、会報には甲斐駒か高妻山を候補に挙げ、掲載した。他の人の記録を調べるうちに、我々では困難そうなのが分かってきた。ならば他を探すしかない。いつものことながら、どこへ出かけるのかが決まらないのは日頃からの研究不足が原因といえるだろう。体力が低下気味なのは否めないし、私の気力はそれ以上にもてていない。「恒例の年末山行を無くしたくない」という義務感めいたものに背中を押されているだけだ。平均年齢が60歳を超え、新人も若者もいないのだし、意気上がらないのも不思議はない。候補となるストックはなく、目的地の選定には直前まで難渋した。過去の記憶を呼び覚まして出てきたのが標高1888mの三倉山である。 12/23 旧道の登山道からとりつく。いきなりの急斜面では、うっすらとついた雪が足の運びを難しくする。足場を慎重に選びながら高度を上げる。1100m付近でいったん平坦になる。夏場は笹に覆われている場所も薄い雪が少しばかりある程度だ。前回の幕営地点はさらに上部だが、天候は「荒れ模様の予報」があり、早々にベースを決めた。整地をしている間にもときおり強い風が吹きつける。
ければならない。唐沢山まで3時間を要した。ここから先は雪が深くなるのでワカンを装着。順繰り交代でラッセルとなる。1750m付近の登りにかかる頃から青空が見え始める。雪を身にまといモンスター状となった樹木が不思議な光景を見せる。予想外の天候で、風もおとなしい。新潟県境の真っ白になった山々も姿を見せ、期待に心躍る。視界が利き、目的の場所がはっきり見えていることが心理的にも大きな余裕を与えてくれるようだ。手前のピークからは頂上の標もはっきりと見える。高度が上がるにつれて二岐山、大白森、小野岳は眼下となり、噴煙を上げる茶臼岳、三本槍、赤崩山(旭岳)など以前に来た山々が出迎えてくれる。平成20年の山開きを記念して建てられた標と祠がある頂上は我々のものだ。当然ながら、大倉山に続く雪原は踏み跡一つついていない。 急ぎ来た道を引き返す。3時間を要した唐沢山へは50分足らず、ここからB.Cへも同じ程度の時間で着いた。
震災と原発事故で「今年は尾瀬へお客を運んだのはゼロだった」とタクシーの運転手がいう。三連休にもかかわらず、電車の乗客も少なめな気がする。ともあれ、恒例の山行は荒天予報のはずが、好天へと好転して無事終えられた。 少々長めの反省会をして、何だか儲けた気分で帰京した。
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12月23日 | ||||
9:03 越え、福島県会津側に入るととたんに雪は多くなりました。 |
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12月24日 | ||||
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12月25日 | ||||
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