南アルプス塩見岳山行記録 【日 程】2015年10月29日〜10月30日 【メンバー】佐藤(L)、新美、飯嶋、上野(記) 【出 発】前日10/28 飯嶋車で新美宅に入る 【行 程】 10/29 新美宅4:15−(鳥倉林道)6:02−豊口登山口6:37−三伏峠9:37− 本谷山11:41−塩見小屋14:11−塩見岳に向かう岩場で事故発生― 塩見小屋泊で宿泊17:30 10/30 塩見小屋7:00−本谷山8:50−三伏山9:54−三伏峠10:06− 豊口登山口12:49−鳥倉林道P13:28−(往路に戻る) 10月29日(一日目)
10月30日(二日目) 昨日の事故の影響か、興奮状態で昨夜はよく眠れず、睡眠薬を飲んで寝た程でした。早めに下山の準備をして出発しました。頭の中は、今後の事故の対応でいっぱいでした。 下山後、関係各所にお礼を述べて、最後に病院で、佐藤Lと対面できました。症状も軽いとのことで、我々も安心した次第です。 この事故を教訓として、私たち会としても、考えていかなければいけない問題を孕んでいると思います。私としても、今後の山行計画としての反省材料にしたいと思っております。 以 上。 塩見岳山行の行動と佐藤さんの体調変化、遭難救助状況 2015年11月2日 新美(文責) 10月29日(木) 03:00起床。トースト、コーヒー、ゆで卵、レタスサラダで朝食。 04:10頃飯田市千代の新美宅を飯島氏の車で出発。松川町渡場交差点を右折し、大鹿村に向かう。大鹿村の上蔵(わぞ)集落を経由し、鳥倉林道に入り、鳥倉林道登山者用駐車場に05:40頃到着。登山靴に履き替え、支度を済ませ、06:00出発。駐車場には我々の車を含めて4台の車が駐車していた。林道を歩き、06:36登山口到着。パーティーの編成はトップに佐藤さん。次は飯島さん、上野さん、新美が最後を歩く。 09:38三伏峠到着。10;00出発。三伏沢で沢水を補給し、本谷山11:42到着11:55出発。権右衛門山の下の樹林帯ゴーロ13:37到着。塩見小屋14:05通過。 塩見小屋で小屋の管理人から権右衛門山下の樹林帯での幕営は黙認するが小屋周辺での幕営は禁止であると告げられる。そこで天候が快晴であり、風も弱いため、近くにザックをデポし、防寒具、水、行動食、ヘッドランプ等を持参し、空身で塩見岳往復に向け出発する。 14:36頃、塩見岳(標高3046.9m)下部の通称、天狗岩の南面のガレ場(標高2910m辺り、)で佐藤さん突然、しゃがみ込む。後に居た飯島さんは休憩かなと思ったが、佐藤さんから「めまいがする」「呂律が回りにくい」と告げられる。その場で休憩し、水、行動食、飴などを口にし、深呼吸をくり返すなど、体力回復のための動作をしてみるが効果が無く、めまいがなかなか消えない。体を冷やさなくするため、防寒具を身につけさせ、風の影響を避けるため、岩の窪みに移動する。意識はしっかりしている。頭がズキズキするといった頭痛症状はない。佐藤さん本人から「めまいが残る」「呂律が回らない」と再度告げられ、しばらくその場所で様子見をする。しかし中々回復しないので、飯島さんと上野さんが付添いし、15:05新美が塩見小屋に救援に走る。塩見小屋の管理人に通報し、救援要請をする。テルモスに入れたお湯と救援ヘリコプターの要請準備と緊急避難に小屋を使わせてほしいとお願いする。塩見小屋から寺澤女史がトランシーバー持参で現場に駆けつけてくれる。 15:45頃塩見小屋の寺澤女史が現場に到着し、佐藤さんにお湯を飲ませると体力が少々回復してきた。しかし佐藤さんにめまいが続いていること、自力歩行が困難なため、長野県警の山岳遭難救援ヘリコプターの出動要請をお願いする。塩見小屋の寺澤さんから佐藤さんは氏名、住所、生年月日、連絡先電話番号を訊ねられ、呂律が回りにくいが、しっかり応えていた。しばらくやりとりの後、16:20過ぎに救援ヘリの出動が可能になる。 現場が天狗岩に近いガレ場であり、救助作業に困難さが予想されるため、ヘリコプターが配置されている松本空港から現場に到着するまでの時間(松本空港から現場到着に15分ほどかかる)にできるだけ、平坦地に近いところまで下ることにする。飯島さんが佐藤さんの腰ベルト辺りをつかんで介助し、佐藤さんがガレ場の岩角をつたい、這い松をつかみ、ストックも使いながら、少しずつ這い松帯の平らな方向へと自力で下る。標高2830m辺りまで下ることができ、そこで、救援ヘリコプターを待つことができた。 16;45頃ヘリコプター現場に接近。16:50救助隊員降下。16:58佐藤さんと救助隊員をハングアップし、ヘリコプターに収容。日没間近ぎりぎりの救助だった。ヘリコプターの救助を確認し、塩見小屋の寺澤女史と飯島さん、新美は塩見小屋へ向かった。 この間、日も陰りだし風も出始めてきたため、上野さんに寒気も生じてきたりしたため、上野さんは塩見小屋へ向けて先に下山する(途中で新美にも会い、寒気がしてきたので、小屋へ下ると会話を交わす)。 塩見小屋に到着後、17:30過ぎ頃に飯島さんから佐藤さんの遭難救助の報告を田口さんに行う。 佐藤さんは伊那市中央病院に搬送された。 10月30日(金)朝、塩見小屋の管理人の青山敏樹氏に佐藤さんの遭難救助に関わった関係先を聞き出し、下山後お礼の挨拶に行くことにする。 07:00塩見小屋を出発。13:30鳥倉林道駐車場に下山。遭難救助に協力していただいた関係先として、伊那市長谷支所、伊那警察署地域課へ状況報告とお礼訪問する。その後入院先の伊那市中央病院に行き、佐藤さんを見舞う。佐藤さんの娘さん(横浜の労山加入)と話をし、佐藤さんとも話をする。脱水症状から起きた軽い小脳系の脳梗塞で、30日からリハビリを開始し、2週間程度症状推移をみるとのこと。佐藤さん本人はまだ呂律が回りにくさを感じているようだが、聞き取りにくさもなく、ふらついていた足取りもなく、しっかり歩けて救助された時より回復が早く、早期救助の重要性を感じた。 今回の遭難救助に当たっての問題点等は以下に 1、
天候に恵まれ、日没前に救助ヘリコプターにハングアップされ収容されたことは良かった。 2、
本人が腰周辺をつかんでもらいながら、介助されて自力歩行ができ、標高差で90m程下る体力を保持できたことが良かった。 3、 今回は佐藤さんがリーダーのため、代わりに判断できる人を決めていなかった。 4、 佐藤さんが自力歩行できないということに早く気付いて対処する必要があった。このような場合、一般的に当事者本人は周囲の人たちに迷惑をかけたくないなどの意識が働き、決断が鈍るため、佐藤さん本人は判断ができないと考えパーティメンバーが決断を下すことが必要ではなかろうか。特に歩行困難な状況がはっきりした時はすぐさま救助を要請しなければならないと思う。 5、 快晴で稜線上でも無風であったが、14時過ぎから塩見岳頂上を目指すことは無謀ではなかったか。10月下旬という日没が夏期より早い時期の行動であること。朝6時から14時という8時間に及ぶ長時間の行動時間をきちんと認識して塩見小屋から塩見岳頂上への行動を止めるべきであったのを強行したことに無理が生じた可能性があり、判断ミスが認められる。仮に佐藤さんの容体急変という事故が無くても幕営に入れる時間は16時過ぎになり、メンバーの疲労度は高くなっていると考えねばならない。 仮に県警のヘリコプターが他所へ出動中であったり、救助要請が遅れ、日没に間に合わない場合は塩見小屋へ自力下山するか、現場付近でビバークしなければならず、佐藤さんの病状は悪化していたことが予想される。 6、 飯島さんが今までの経験から軽い脳梗塞を起こしているのではないかとの予想をしていたことが救助要請の判断を確実なものにすることができた。 7、 初冬でもあり、夏場と違い水分の補給を気にかけなくなる時期ではあるが、特に高齢者には今回のような脱水症状からくる脳梗塞等に気をつける必要がある。 8、 今回は県警察の山岳救難ヘリコプターの出動ができて救助されたため、地元の救助隊(伊那市長谷地区の山岳遭難救助隊)の出動もなかったので、救助費用の請求は無い。地元の救助隊は民間となり、費用の負担が発生する。 佐藤さんの救助に関わっていただいた関係者、関係機関 塩見小屋 伊那市長谷支所産業課 伊那警察署地域課 長野県警察 航空隊 ‐以上 塩見岳からの救助されました 佐藤
この度の急病搬送について、御一緒に行動して頂いた新美さん、飯嶋さん、上野さん、そして塩見小屋の皆さま、地元警察、松本警察、伊那中央病院そしてさんかくてんの皆様と多くの皆様のサポートで無事生還することが出来ました。御礼の言葉を尽くしようがないほど感謝しております。 10月29日夕刻発病し、11月14日に伊那中央病院を退院することが出来ました。
歩き始めて30分の14:40ころ(標高2940m付近山頂まで100m差程度)の岩稜帯の中腹で休憩をとっていると、私の視界がぐるぐると回り始め、収まらない、そして呂律が回らなくなってきた。20分ほど時間を貰って様子を見るも回復しない。これは脳梗塞の症状で高山病とは違うとほぼ確信に近い気持ちだ。メンバーも理解してくれ、新美さんが塩見小屋に伝令に走り下り、私は防寒着と合羽を着て寒さに備える。30分ほどして新美さんと小屋の女性が助けに来てくれ、直ぐに救援のヘリコプターを要請しました。
夕方 新美さん、飯嶋さん、上野さんの三氏が見舞いに来てくれる。御礼の言いようもない。 当日から直ぐにリハビリ開始、理学療法士による歩行訓練ではUターンの時にふらっとする。作業療法士のとき10円玉数枚が縦にきちんと掴めない。言語聴覚士のときはタ行とダ行の組み合わせがうまく発音できない。毎日毎日3人の療法士が交代でリハビリです。1週間で点滴も終了し、3度目の血液検査をしてSCUセンターから一般病棟に移動し、言語・記憶・四肢の動きの点検を毎日、朝、昼、夜、就寝前の4度行いと薬を飲み、リハビリの毎日でした。 清水ドクターは年内は静養し、来年からは好きな登山を再開して頑張って下さいとの有難い言葉を頂き大変嬉しく思います。 今は自宅に戻り、日記を書いて手の訓練、本を朗読してしゃべりの訓練です。 省みれば今回の病気は自分にはという過信からかと思います。そして重なる幸運と日本の社会の医療体制に救われたと感謝しております。 @発症した時のメンバーの適切・迅速なサポート A発症した時の天候も良く、時間帯もヘリコプターが飛べる明るい時間だったこと。 B平日の木曜日、病院の勤務体制は完全体制中で完璧な迅速な処置ができた事。 C病院が地域最大の中核病院で最新のSCUセンター(脳卒中センター)を持っていたこと。 余談ですがかっては長野県は寿命の短いワースト県でしたが、最近は日本一の長寿健康モデル県として全国的に有名ですが、ここ伊那中央病院の医療の現場も素晴らしく、看護師の教育とコンピューターのシステム化そして最新鋭医療機器、リハビリ体制とよくぞここまで進歩し、実践できているのだと感心しました。 最後に重ね重ね多くの皆様に御礼を述べたいと思います。来年は徐々に好きな自然を楽しめる機会が戻って来ることを願っています。 |
2016全国遭難対策担当者会議で佐藤さん、新美さんが自身の体験を報告 「今回の事故は、『自分には』という過信から」「明らかに水の摂取不足だった」――労山全国連盟が主催した「全国遭難対策担当者会議」(2016 7月2日〜3日/新宿区・飯田橋の労山事務所)で、「品川山の会さんかくてん」の新美英造さんと佐藤達夫さんは、昨年10月の南アルプス・塩見岳での病気による救助体験について経過と教訓を報告しました。この会議は2年に1回、全国各都道府県連盟の遭難対策担当者を集め、登山中の事故対策を検討し、討議するために開かれています。今回の大きなテーマは、昨年から今年にかけて頻発している登山中の突然死。参加は全国都府県連盟から40名でした。 労山内では、昨年(2015年)に12名の死亡事故が発生しましたが、そのうち5名が心疾患によるものです。
特に「さんかくてん」の事例は、事故の現場にいた同行者と事故者本人がリアルに体験を報告し、とても参考になったと参加者から好評でした。 (記:石川友好) |